AmlethMachina's Headoverheels
ゴシック・ノワールを標榜するAmlethMachinaによる音楽を中心にした備忘録。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
そもそも消費税は違憲ではないか?
消費税増税論議がまたかまびすしい。しかし、以下の理由から国民は消費税増税に一切耳を傾ける必要はない。国民はきっぱり、「アホか?」、或いは「消費税をまず撤廃せよ!」と言えばいい。

(1)消費税は違憲である。
「生活必需品を非課税としない消費税」は憲法25条で保障された「文化的、健康的最低限度の生活を営むこと」を人質にして課税するものである。これは生存権の侵害であり違憲だと断言していい。「生存権」は「社会権」であることが法解釈上の主流である。「消費税が立法により保障された権利を制約しているわけではないのだから違憲ではない」という主張もあるかもしれない。しかし同時に「生存権」は「自然権」としての側面を持つことを否定する者もいないであろう。少なくとも「食べて生きること」は立法であえて保障される前に主張して然るべき権利だ。要はなぜ国が「飯喰って生きる」ことに口をはさむのか?・・・ということである。
生活必需品は完全に非課税とする。あるいは消費税を撤廃し、付加価値税、物品税、奢侈税として法整備をするようであれば合憲であることは言うまでもない。

(2)国家予算の特別会計を見直すのが先である。
財務省の公式HPの特別会計FAQでも示されているように国家予算の一般会計40兆円に対して、特別会計は4倍以上の予算180兆円を占めている。消費税収入は10兆円前後で一般会計歳入80兆円のうち租税歳入50兆円の20%を占めている。(*1)さて、この数値を見ると、特別会計歳出の6~7%を圧縮して一般会計に組み入れるだけで消費税分の歳入を充填することが可能である。消費税そのものの必要性すら疑わせる予算配分だということである。つまり、消費税を存続する必要性をまず国民に対してつまびらかにするべきなのだ。そして特別会計という国会審議を必要としない怪しげな予算が一般会計の4倍以上も計上されている状況が改善されない限り、国民は気前よく増税論議につきあう必要はないということだ。

この点を指摘するだけでも国民が消費税撤廃を要求する理由は十分であると考える。
なお、誤解を招かぬよう補足しておく。先にも述べたように間接税という制度を全て否定するつもりはない。現在の消費税は制度として根本的な欠陥を持っており、「富の再配分」という国家の機能を積極的に放棄する結果となっているということである。「生活必需品、衣類、教育を非課税とするならば課税品目、税率、使途についての議論は聞いてやってもいいぜ」ということだ。

(*1)ちなみに、この比率はしばらく前にとむ丸様のエントリでも話題になった内容だ。消費税率が日本よりはるかに高い国における租税歳入比率に匹敵するということであり、消費税率が低すぎるという議論は欺瞞だということである。


スポンサーサイト
人の心に勝手に触れるな!
はあ?・・・である。

愛国心やら国旗、国歌を強制(*1)ってゆーのは正直なところ生理レベルでムカつくのだ。はっきり言えば理屈なんかじゃない。他人の気持ちに土足で踏み込んで「お前はおかしい。我々の言うとおりにしなさい。」と一方的に指図するのだ。

人の心に勝手に触れるな!

キース・アニアンでなくても、こう言いたくなるではないか。


(*1)文科省、新指導要領に「愛国心養成」を追加

3月28日5時5分配信 読売新聞

 文部科学省は、約3年の改定作業を経てまとめた小中学校の新学習指導要領を28日付官報で告示する。

 先月15日公表の改定案と比べ、「我が国と郷土を愛し」といった記述が追加されたほか、「君が代」についても「歌えるよう指導する」と明記されるなど、「愛国心」の養成をうたった改正教育基本法を色濃く反映する形となった。

 これらの修正点は、文科相の諮問機関「中央教育審議会」の審議を経ないまま盛り込まれており、なぜ新たな文言が突然加わったのか議論を呼ぶのは必至だ。

 新しい指導要領は小学校では2011年度、中学では12年度から実施される。

 今回の修正の中で目立ったのは、一昨年12月に改正された教育基本法に「我が国と郷土を愛する態度を養う」との表現で愛国心の養成が盛り込まれたことを受け、小中学校ともに全体の指針となる総則に「我が国と郷土を愛し」という文言が加わった点。同じ総則の「伝統と文化を継承し」という記述も「尊重し」に変更され、小学国語に「神話・伝承を読み聞かせる」ことが追加されるなど伝統文化の尊重も強調された。

 君が代も小学音楽で「いずれの学年においても指導する」から「歌えるよう指導する」と修正され、中学社会では自衛隊の国際貢献に言及している。

 先月公表の改定案には、自民党の一部議員から、竹島や尖閣諸島について「我が国固有の領土」と明記されていないとの批判が集まっており、「愛国心を強調することで、そうした批判に配慮した」(自民党中堅)という指摘もある。

 文科省は「修正は中教審の答申の枠の中で行っており、批判を受けるとは考えていない」としている。

最終更新:3月28日5時5分
読売新聞

「デブは生きてるだけで邪魔だ」と言い放つ意味

この春施行される「デブ排斥制度(*1)」についてである。

この制度で自治体にペナルティを課すことは「痩せることのできない人は生きる上でペナルティが与えられる。」単刀直入に「デブは生きてるだけで邪魔だ」という意味だ。しかし、よ~くこのことの意味を掘り下げてみると、自分がデブかどうかは関係ない。この制
度を運用するということはこういうことなのだ。

「治るみこみのない病を患う人間は生きてるだけ邪魔だ。」

政府にも色々と理念やら方針やらもあるかもしれない。しかし、この制度を運用するということは先に述べた以外の解釈はない。今時、隣組じゃあるまいし、自治体の連帯責任というのは性質が悪い。

「死ぬだけの高齢者への医療保証は無駄だから自分の金で治療を受けろ」という「後期高齢者医療制度」という見殺し制度も「国のために働ける人間だけ住まわせてやる」という「ユニバーサル社会基本法」の議論もその本質は同じである。

政府が国民に対し「生きる価値のある人間を政府が決めてやる」と宣言したのと同じだ。少なくともそのようにしか解釈できない制度設計を行っているのだ。

そんなことを言い出す国が「近代的民主主義国家だ」なんて、とてもじゃないが言えない。


(*1)<メタボ健診>開始直前、自治体の理解進まず 本紙調査

3月25日22時9分配信 毎日新聞

 新年度から始まる特定健診・保健指導(メタボ健診)について、科学的根拠が十分と考える自治体は1割に満たないことが、全国806市区を対象にした毎日新聞の調査で分かった。約4分の1は効果確認後に導入すべきだと答えた。メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)患者数を減らせない場合などに自治体に科せられるペナルティーには約6割が反対し、開始直前の国の制度に自治体から異論が噴出した形だ。

 メタボ健診は保険者(健保組合など)に実施が義務づけられる。国民健康保険加入者には保険者である各自治体などが実施。40~74歳が対象で、腹囲が男性85センチ、女性90センチ以上など一定の条件を満たした場合は、生活習慣改善を指導する。

 調査は今月、全国783市と東京23区に実施。開始時期や自己負担の有無などを尋ね、562市区(69.7%)から回答を得た。

 メタボ基準値や指導の効果に専門家から批判がある中で導入することの是非を尋ねたところ、「科学的根拠は十分で導入に問題はない」と答えたのは51市区(9.1%)のみ。207市区(36.8%)は「根拠は不十分だが、導入に問題はない」と答えたが、132市区(23.5%)は「基準値や指導内容を検証し、効果が確認されてから導入すべきだ」と回答。「分からない」が148市区(26.3%)で、3市(0.5%)は「導入すべきでない」と答えた。

 健診実施率やメタボ患者・予備群の減少率が国の目標に達しない場合、国はペナルティーとして、保険者に後期高齢者医療制度への拠出金増額を求める。357市区(63.5%)が反対し、「ペナルティーは当然」は23市(4.1%)だった。

 健診受診に自己負担が必要なのは353市区(62.8%)。負担額は300~3200円(減免措置対象者を除く)で、自治体間の格差が大きい。

 健診の開始時期(予定も含む)は6月が239市区(42.5%)で最も多く、75%以上は6月までに開始予定だった。保健指導は78市区(13.9%)が10月以降の開始で、09年1月も6市(1.1%)あった。【まとめ・大場あい】

ヘタレはヘタレのやり方で生きていくしかないのだ。

「抑止のための武装」って実はナイーブな発想だよなと思いつつ、日本が武装する上での戦略的目標みたいなものを考えてみた。

(1)他国に侵攻、侵略できるだけの武装(*1)
(2)敵性国家の侵攻に対し、これを自力で排除するに足るだけの武装
(3)国連軍が発動し介入するまでの間、戦うことが可能な武装
(4)実際の交戦を想定しない、抑止効果が期待されるだけの武装

さて、軍備を必要と考えている方々はどのレベルを想定しているのだろうか?

(1)(2)については日本のエネルギー自給率、食料自給率では、戦略的目標を達成する上で実効性のある武装は不可能である、以上。想定するだけ無駄である。

(3)については想定される期間によるが短期であれば警察予備隊のレベルでも構わない。長期化するようであれば(2)と戦略的な差異は存在しない。やはり実効性のある武装は不可能である。

(4)については交戦を想定しないのであれば、抑止のためだけの軍備にブチ高いお金を使う必要なぞない。むしろ経済的に密接な関係を構築し、流通する情報は可能な限り透明にし国際社会に対して国内の動きを明らかにした方が、日本に侵攻するメリットは激減する。要は抑止力として機能するオプションは軍事力だけではないということだ。おまけに重武装化により経済が縮小するようであれば、外交や経済による抑止効果は著しく低下する。
「い~や、反日国家はそんな論理的な判断で侵攻をしかけるのではない」とあなたは言う。だとすると、そもそも軍備による抑止効果さえも虚妄だということだ。

総合すると実効性が認められる武装は警察予備隊に毛の生えたレベルであり、それ以上は無意味だ。国民の命、財産を守ることが最終的目標である限り軍備をしようとしまいと効果の点では変わりはしない。結局のとこ外交が失敗した時点で日本は「詰み」なのだ。自決のためだけの戦争につきあう必要などない。繰り返すが日本が米帝に唆されて重武装することは実効性のないゴミに湯水のようにお金を注ぎ込むだけの無駄使いでしかない。

幸運なのか不幸なのかはわからない。国際社会の中で武器をとらないヘタレとして生きていかざるを得ない土地にわたし達は生まれたのだ。人殺しをしたがる品性下劣な国を真似する必要なぞどこにもない。この土地ではそもそも軍備などできないのだ。だからこそ、わたし達はわたし達のやり方で生きていくことを考えるべきなのだ。

(*1)この想定は違憲であり平和国家を護持する上では不適切な想定であるため、そもそもとりあげるべきではない。日本単独では前述のとおり実効性のある軍備は不可能である。しかし日米同盟の名のもとに他国に侵攻、侵略することが可能な軍備は存在し、既に行っている事実だけは留意しておく必要がある。話が発散するため敢えて本文ではふれなかったが、現在の日本の軍備は独立国家の機能ではないということをキッチリ認識しておくべきである。
「この世に不要なあなたは死になさい」という不条理を認める気はない

長崎市長射殺、秋田連続児童殺害について死刑に関わる印象的な判決が報道された。中には少しは溜飲を下げた人もいるだろう。不満を覚えた人もいるだろう。長崎市長については知れば知るほど怒りがこみ上げてくるというのが本音である。

しかし、自分はどちらの事件についても死刑は認めない。(*1)

死刑存置は「世の中には正しい人殺しがあること」を認めるのと等価だ。もしかしたら「必要悪であり、消極的支持にとどまる」と主張する方もいるかもしれない。しかし「必要性」を認めることと「正しい人殺し」を認めることの間には本質的な差異は存在しない。「正しい人殺しがある」ということは「ある人間を排除すべきかどうかを客観的かつ論理的に判断することができる」ということである。さて、あなたは「自分が生きる価値のある存在かどうか」を他人が決めるのを認めることができるだろうか?(*2)

少なくとも自分は「この世に不要なあなたは死になさい」という不条理を認める気はない。

要は死刑存置を主張するということはこういうことだ。不条理であろうとなんであろうと、どこかの誰かさんが「死ね」と言えば、あなたはそれを受け入れざるをえない。それは「意地の悪い言い方」だという反論が聞こえてきそうだ。これはあなたが凶悪犯罪者かどうかなど関係ないことだ。意思決定のプロセスに誤謬があったのかもしれない。そんなことも関係ない。単にあなたを合法的に殺すための装置が機能するかどうかだけの問題だ。

もとより「殺人者の命も大切だ」なんて安いヒューマニズムを振りかざすつもりなぞない。殺人者の命がどうなろうとそんなことには興味ない。しかし、如何なる論理に基づくものであれ「死」をつきつけてくる不条理を甘んじて受け入れるほど自分は寛容ではないということだ。仮に追検証可能で論理的に無謬のシステムが評価したとしてもだ。自分を合法的に殺すことの出来る如何なる口実も与えるつもりはない、どこの誰にも。

正しい人殺しなどどこにも存在しない。ただそれだけのことなのだ。

(*1)死刑存置論者からの幾つものレベルで反論は考えられる。例えば、更正可能性、再犯率、遺族感情、収監するためのコスト、犯罪抑止効果・・・等々。しかし、その多くは論理的形式性のみならず各論点での実効性すら死刑では担保できない。つまり死刑存続の議論においてそれらは本質にはなりえない。要はどーでもいい話ということだ。

(*2)この議論は「国家による殺生与奪を無意識に認めるかどうか」という論点を暗黙的に含んでいることに注意が必要である。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。