AmlethMachina's Headoverheels
ゴシック・ノワールを標榜するAmlethMachinaによる音楽を中心にした備忘録。
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雑誌「Numero HOMME(仏版)」について
しばらく前の話になるが、雑誌「Numero HOMME(仏版)」No.15を購入する。

グレッグ・キャデル(Greg Kadel)の手になる「Nomad」というタイトルのスタイリングのページがネオ・ゴシックでパンキッシュな気分全開で無茶苦茶かっこいい。

いつも思うのだが、海外のこの手の雑誌ってスタイリングのアイデアの総量が絶対的に多い。紙面の提示しているもの、表現しているものがスタイリングの本質なのだということを感じるのだ。逆に日本の雑誌の場合、スタイリングのアイデアではなく、ベタなコーディネイトの提案であってまんまハウ・トウなのだという気がしてならない。いや、それ以前にカタログ的な誌面構成だったりするのだ。要はそれに従っていれば誰からも非難されない、シーズン毎のコードを事細かに業界ぐるみで指図しているだけなのだ。

しかし、他人からイチイチ指図されるのは鬱陶しいだけだ。

別にこの点を以って内外の誌面について優劣を云々しようとは思わない。単に自分が見た範囲の印象にすぎないのかもしれない。日本の雑誌は便利で情報をチェックするためだけなら効率はいい。一見、同じようなものを扱っているにも関わらず市場の需要や性質が根本的に違うのではないかと感じるのだ。

今回の「Numero HOMME(仏版)」は必ずしも好きなタイプのページばかりが誌面を占めているわけではない。しかし、面白いしかっちょいいと思った。それだけのことだ。

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増やすも減らすも7200Kcalの壁は厚い!
三ヶ月前から、ダイエットなるものを始めてみた。減らすのではなく増やす方の・・・。
身長182Cm、体重55~56Kgというのはゴスとしては十分ありな数字ではある。しかし傍から見たらあまり健康的な数字ではない。(ちなみに繁忙期に過激な残業が続いても自分だけはつぶれなかったことを鑑みると、不当に不健康な訳ではないと思うのだが・・・)とりあえずBMI値16~17という状況はスーパーモデル体型と素直に喜んでいい訳ではないので、少し体重の見直しを行い3Kgの増量を目論んだのだ。(*1)

自分で色々考慮しながらポイントを以下としてみた。
・カロリーの調整は間食で行う。(一番調整し易いので)
・上半身は表層筋を中心に負荷をかけること。
・下半身は可動範囲を拡張すること。
・可動範囲の拡大に伴い腹部の深層筋を恒常的に使うこと。
・別にマッチョになることが目的ではないので、深層筋を中心に動かしてフォルムを調整すること。
・2~3Kgの増加を目指すこと。
要は深層筋を調整してフォルムを整えたい。なおかつ健康的とされる範疇のBMI値とする・・・程度の目標である。

まず現在、日常的に就業中の間食で2~300Kcalを摂取。この状態では体重の増減がない。このことから2~300Kcalを基準に間食を調整すれば体重増加がみこめると判断。

前述の表層筋、深層筋の負荷は自宅で可能な運動とストレッチで行うものとする。ちなみに必要と考えられる筋肉を一通り、想定される方向に動かすメニューを組むと数分の無酸素運動と小一時間ほどの有酸素運動からの組み合わせとなる。消費カロリーを一時間の軽いストレッチとして200Kcalと仮定する。

次に1Kgの体重増に必要なカロリーを7200Kcalとして計算した場合、3Kg増加に必要なカロリーは21600Kcal。三ヶ月目標で検討すると一日約240Kcalの余剰カロリーがあれば達成可能である。

これらを基に間食で摂取するカロリーを算出すると以下のとおり。

(間食で摂取するカロリー)
=(通常時の間食)+(ストレッチで消費されるカロリー)+(体重増に必要なカロリー)
=300Kcal + 200Kcal +240Kcal
=740Kcal

一日、約740Kcal摂取が目標値である。
でもって三ヶ月間、ストレッチと就業中に650Kcal程度の間食と寝る前の間食(100~400Kcal)という生活を続けてみたのだ。

結果はどうかって?

55~56Kg台からピクリとも動かない。希望的評価で微増。原因として考えられるのは深層筋中心の有酸素運動をメインにしたメニュー設計である。当初の想定以上に消費カロリーが大きいのかもしれん。類似の状況に対し、筋トレ系質問箱なんかで指摘されるのは有酸素運動を減らすことである。とは言え、筋トレしてマッチョになるということが目的ではないので、当面メニューを変更するつもりはないが、ストレッチのやり方は要検討。それ以上に摂取カロリーの方も多めにしようと思う今日このごろである。

自分でやってみて、よ~っくわかったのだがダイエットなるもの、最低でも三ヶ月は続けないと結果を評価することはできない。どーやってもこれより短い期間で結果を出すことは不可能だということが身に沁みてわかった。また、きちんと実行しようと思ったら日々の生活習慣やら生活リズムも含めて見直さないと、実効性はないという身も蓋もない結論だけが残ったのであった。(*2)

(*1)どーでもいいかもしれないが、健康的なゴス、アウトドアなゴスというのは語義矛盾のような気がする。
(*2)例のメタボ検診でメタボ認定されたら三ヶ月単位で改善結果を評価なんてプログラムははっきり言ってデタラメっす。そんなことがスパっとできる知識と意思があればポータルサイトトップページの「一週間で痩せたい」なんて怪しい広告が蔓延ることはないと思うぞ。

「誰からも自由である私という主体」を受け入れること
みっともない身体をひきづって生きていると発作的、定期的に「セルフイメージとリアルな身体感覚」っつーお題目が頭をもたげてくる。「モードの帝国」山田登世子 なんかを本棚から引っ張り出して読み直したりしてみる訳だ。

「ちぐはぐな身体」鷲田清一(*1)、「スピリット・ダンシングーリンゼイ・ケンプの世界ー」橋本ユキ、「第三の意味」ロラン・バルト、「モードの体系」ロラン・バルト、「ヌードの反美学」リンダ・ニード、「異装のセクシュアリティ」石井達朗 あたりも連想的にさらってみる。脳内キーワード検索では「エロスの涙」バタイユ、「WAVE 特集:ノヴェチェント」(*2)、「夜想:未来のイブ」なんかもひっかかってくるかもしれん。他人様にはどうでもいいお題目だろう。

「モードの帝国」発刊当時、シャネルを「皆殺しの天使」として「マスに圧倒的な信頼を置く旧体制からの解放者」とする点がどうしても納得できなかったのは、ボードレール的な古典的ヒロイズムをどこかにひきづっていたのかもしれん。
「セカンドラインを出すつもりはない。買えないのならアイデアを盗んで自分で作ればいい」というアレクサンダー・マックイーンの言説やらゴルチェの樫山との提携による市場展開、ヴィヴィアン・ウェストウッドのレッドレーベルなどでリアル市場をどこまでモードがコントロールするのか。コントロールする主体が誰なのかについて色々考えてみた今では納得できるのだが、当時は「マスに圧倒的な信頼を置く」と言い切る認識を共有する覚悟がなかったのだ。

では現在のリアルが「解放されたマスが闊歩する世界」になっているかというと、どうもそうは感じられない。上手い言い方が見当たらないのだが「私が主体になることは決してない。私が制度から軽やかに自由になるというベクトルがない」のだ。最初からそのようなものなどなかったのかもしれん。ロールモデルで視覚化される新しい制度に移行し続けるだけなのだ。きっちりこう言い変えるべきかもしれない。

リアルクローズでロールモデルのコスプレをしているということだ。

そこにあるのは「ありうべき自分」のイメージでさえなく、「いかにロールモデルに近づいたのか」という論理である。依拠する制度の安全性はメディアによって垂れ流されるイメージで保障される。もしかしたら明日には旧びるかもしれない。今日のところは圧倒的に強固な実体として絶えず補強されるのだ。しかし、それは制度性への回帰にしか見えない。誰かに無言のうちに強制される制度に喜んで身を委ねるということだ。

う~む、不自由だ。

ふと思い出すのが学生の頃のツッパリ君。制度や規範に反発して自由なのではなく、単に自分に都合のいい制度に乗り換えることで全能感、優越性をエンジョイしてるだけなんじゃないかと冷たく分析していた当時の自分は思えばヤなガキである。そのヘンのパンクでロックな気分全開の連中も同様である。制度を乗り換えていい気分になっても単にいいように利用されたり搾取されたりするという意味では「戦争を待望するフリーター」とその性根の部分は全く同じなのだ。自分に都合のいい状況が出来するという期待感だけで制度を乗り換えたがっているだけなのだ。客観的な分析なぞ、そこには存在しない。自分で情報を取捨選択できないという意味では情報を隔絶する装置が効果的に機能しているのだ。そこから培われるのは「今ある制度をがらがらポンしたら勝ち組になれる」という幻想だけだ。もしかしたら「少なくとも勝ち組はいなくなる」というさもしい期待なのかもしれない。しかし、今進行中の格差社会は搾取する側が現状に対する危機感と変革後への期待感を煽り制度を乗換えさせたことによって深刻化したのだ。搾取される側の期待しているような変化はそもそも用意されちゃいない。(*3)

話を戻そう。モードが現実の諸相から自由でありえない以上、政治力学の無意識の反映を内包してしまうのはしかたない。しかし、自らの皮膚感に最も近い世界においてさえ誰かが押し付けてくる制度を無批判に受け入れてしまうのはなんか違うんじゃなかろうか。別にモードやファッションに政治意識が必要だとか言うつもりはない。ただ、押し付けられる制度に生理レベルで違和感を感じてもいいのではないかということだ。

「誰からも自由である私という主体」を受け入れる。そんな勇気があってもいいと思っただけなのだ。


(*1)鷲田清一は素人のファッションに対して匿名的に取り扱うことで、思想で理論武装され安全な制度化された地点から分析をしておるのはリアルさを欠くのではないかという指摘もある。きっぱりズルイと。
確かに「モードの迷宮」を読んだ時にピンとこなかったのは、全体のトーンにおいて思想による理論武装が勝ちすぎていたためかもしれない。しかし「ちぐはぐな身体」では本人がコムデギャルソンに袖を通したときの実体験なども含め、所謂ガキを想定読者としたことがいい意味でリアルな方向に機能しているんじゃないかと感じたし、またリアル中年がモードと関わっていくことに対する齟齬がそこかしこに無防備に見え隠れしているところがグーだった。自由にファッションを謳歌できるガキと違ってリアル中年の場合、そもそも思想による理論武装といった装置なしでファッションにコミットしていくことは極めて困難だと思っているということだ。

(*2)この特集の記事で若桑みどりが「アートは政治である」ということを言っておったのが、ミョーにかっこよかった。

(*3)考えてみればカルトな言説を受け入れるメカニズムも「何もしなくても優越性を保障してくれる制度への乗換」に拠るものだと考えている。でもって搾取される立場であろうと「日本人であるという根拠だけで他民族を蔑視することで優越感を保障してくれる」言説を安易に受け入れてしまう心理学的メカニズムも同様だ。面白いのはこの手の言説は常に「私という主体が制度を決定する」のではなく、「主体を放棄して制度に私の在り様を規定してもらう」という点だろう。

イチ推しはお嬢様
ネットテロリスト集団「護憲派アマゾネス軍団」の水葉様のところでこんなアンケートをやっておられます。

「コメント欄はネタの華」

とゆーことで皆様がイヂると清き一票を投ぜられると楽しい展開になるのではと思っております。

ちなみに自分のイチ推しはお嬢様。お嬢様のセクシーポーズはこちらだっ!

12月30日までだそうなので、お早めに(?)

このグラフはイメージです
当ブログとしては珍しく、硬派で社会派な時事問題「食品偽装問題」に鋭く切り込むべく冷徹かつジャーナリスティックな視点で論考を加えてみようと思う。

今回とりあげる商品は、武士の情けで会社名はあえて挙げないが某江崎グリコ株式会社の「バンホーテンチョコレート ディアカカオ」である。この商品の突っ込みどころである、いや特徴である香味曲線であるが、HPの商品紹介では以下のように説明されている。

「食べた瞬間、パッと華やかに香るカカオが印象的です。その後、少しずつ際立ってくるのが、濃密なココアの風味。食べ終わった後も、ココアを飲み干したような余韻が後を引きます。カカオとココアの味わいに、厚みを与えているのが繊細なミルクの香り。ほろ苦さの中にもコクのある、まろやかなチョコレートに仕上げました。カカオ、ミルク、ココア。3つの香味がときほぐれてゆくおいしさを、どうぞゆっくりと時間をかけてご堪能ください。」

しかし、このグラフ(商品本体ではの包装内、箱裏面に記載されている)であるが、注目すべきポイントはグラフ下の「このグラフはイメージです。」という記述である。
横軸に「食べ始め~食べ終わり」の時間軸、縦軸に香りの強さをプロットし、一見客観的なデータの装いをとっているが、イメージだそうである。つまり、北九州限定うまい棒明太子味の「商品パッケージの写真は商品の味をイメージしたものです」と同じ意味である。これは客観的に検証されたデータを装い、実質を伴わない商品を売りつける悪質な手口である。

顧客に対し「この見積もりは商品イメージです。お客様の条件で変動いたします。」とか「この料金プランはイメージです。」という注意書きが通用するとは思えない。そういった意味では一般顧客を小馬鹿にした詐欺商法と言わざるをえない。(*1)
社会に与える負の影響力を考えると、江崎グリコに対して我々消費者は声を上げる必要があるのではないか?

・・・なんて。常識的に言って目くじらたてるような話ではないと思うのだが「このグラフはイメージです」というコピーがあまりにツボだったので、ちょっと書いてみただけっす。
なお、味については当ブログ専属季節限定商品評価部によると「ビタースウィートの方は季節限定商品としては悪くない」とのことであり、珍しく高得点をはじき出しておった。ちなみに「クリーミーの方は甘すぎで駄目駄目である。」という評価である。


(*1)考えてみたらソフトバンクの商品説明って結構、これに近いものがあるなあ。
先日、うちの奥さんの携帯をAuに切り替えるため、ソフトバンクショップに行ったところ、隣で初老のご夫妻が受けていた説明を聞いてても、ほとんど意味がわからんかった。消費者保護の観点からあれはまずいんじゃないかとつい思ってしまったぞい。


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