AmlethMachina's Headoverheels
ゴシック・ノワールを標榜するAmlethMachinaによる音楽を中心にした備忘録。
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今さらだけどHead Like A Hole

近所のレコファンでナイン・インチ・ネイルズの「ヘッド ライク ホール」リミックス版を見つけたので購入。

NINの1st「プリティ ヘイト マシーン」収録曲である。自分は91年当時NINがブレイクしたミニアルバム「ブロークン」から入ったクチなので、友人から「1stはスカスカで駄目っす」と言われていたこともあって聴いていなかったのだ。

「ブロークン」はスラッシュメタルをインダストリアルの文脈で解体・再構成した傑作であり、メタルのカリカチュアとしても有効な即効性の破壊力を持った高機能なアルバムだったのだ。ちなみにこの「ブロークン」を過激なリミクサーたちが完膚なきまでにイヂリ倒したリミックスアルバム「フィックスト」はポップミュージックとして流通可能なギリギリの音世界を炸裂させており、精神的に会社に出社するのがキツかった時期はディスクマンを大音量で鳴らせながら自宅を這いずり出たものである。

さて、この「ヘッド ライク ホール」リミックス版であるが、「ブロークン」以降のアルバムに比べると確かにスカスカなのだが逆にシスターズ・オブ・マーシーなんかの打ち込みゴシック系との類似性が顕著になっているのだ。NINのトレント・レズナーのラブコールでバウハウスがNINの前座でツアーを行ったという情報も入っているのだが、なんとなくピンとこなかったのだ。しかし、これ聴くと、よ~っくわかる。今まで以上にトレント・レズナーに親近感を抱いてしまうぞ。

これなら「プリティ ヘイト マシーン」も要チェックであるな、今さらだけど・・・。

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原状回復の手だては全くないのだ!
浜岡原発の静岡地裁判決が原告敗訴の形となった訳だけど、原発については自分は採用するメリットは全くないと考えている。

<その理由1>
原子力発電はクリーンなエネルギーと宣伝されている。しかし燃料の採掘から廃棄物の処理までを一つのシステムと考えた場合、ダーティーなエネルギーだと言わざるをえない。まず、核燃料の採掘の時点で放射性物質の拡散の危険および環境への影響が考えられる。核燃料を輸入に頼っているため、採掘が日本国内で問題にならないだけである。(依存率は100%)核廃棄物については放射能が完全に無力化されるのは人間のライフサイクルからしたら遠い将来のことである。無力化するための処理手段はない。流出した場合の環境への影響は計り知れないものがある。つまり、原子力発電が安全だと言えるのは核燃料が採掘から使用済みの廃棄物の保管まで100%完全に管理されているという前提が保障されている場合だけである。
つまり原子力発電というのは自然に安全な状態に遷移するような系ではないのだ。常に状況を監視し、必要であれば管理するための制度そのものを見直しシステムを維持しなければ安全が保障されない系なのだ。

<その理由2>
では、火力発電では化石燃料を燃やすため二酸化炭素が排出され、地球温暖化の一因となっているという議論はどうだろうか?
確かに原子力発電は核分裂により電気エネルギーを取り出している。だから、二酸化炭素は排出しないし、地球環境に優しいように見える。ここでちょっと考えてみたいのは発電のメカニズムである。火力発電は化石燃料を燃やした熱で水を蒸気に換えタービンを回して発電を行っている。原子力発電はどうだろう?

原子力も結局核分裂で発生した熱で蒸気タービンを回して発電しているのだ。そう言った意味では実は火力発電も原子力発電も蒸気タービン発電と分類したほうが正確なんじゃないかと考えている。つまり、化石燃料を燃やそうが核分裂の熱を使おうが蒸気タービンの効率が同じであれば、同じ電力量を発電するのに必要な熱量は変わらないということである。

ここでアレっと思う人もいると思う。エコなんとかと呼ばれる暖房や給湯システムは一度発生した熱エネルギーをいったん電気に換えて、それを再度熱エネルギーに変えるのだ。発電の際に使用した熱エネルギーが回収されて家庭で使用される訳ではない。要はエンドユーザが使用する熱量を得るために二度手間をかけているということなのだ。もちろん、もっと消費形態やマクロな系で評価した系統的なデータがあれば、別な見解も出てくるかもしれない。しかし、現時点で自分はオール電化がエコに優しいという宣伝は欺瞞でしかないと考えている。

では地球温暖化の原因はなんだろうか?
大気中の二酸化炭素の排出量の増加というのも一因かも知れない。しかし、そもそも蒸気タービン発電のために大規模な熱を環境に排出していることの方が問題なのだ。二酸化炭素の排出量の影響もあるかもしれない。しかし、それ以前に熱排出量の削減を議論するべきなのだ。

化石燃料を燃やそうが核分裂に頼ろうが、蒸気タービンで電気を取り出す発電方法を温存する限り、発電所の地球温暖化への取り組みは無意味だ。まじめに発電所が地球温暖化に取り組むのなら、太陽光発電や風力発電、地熱発電、波を利用した発電といったそもそも地球環境に自然に存在するエネルギーから電気エネルギーを取り出す方法に移行すること、また電力使用についても自分たちはなんらかの折り合いをつけることを考えなければいけないのだ。原子力発電をエコを理由に積極的に採用する理由はないということである。

長々と書き連ねてみたが、以上がシステム管理の点でも地球温暖化への影響の点でも、原子力発電は正しい解ではないと考える理由である。

さて、今回の判決についてである。提示されたデータを検証できる基礎知識がないので概容レベルでしか言えないのだが、自分には次のようにしか読めなかった。
「浜岡原発建設時の基準からみたら十分安全値を見積もって設計しているように見えるみたい。報告方法も点検方法、制度も整っているみたいだから、それを守っていたら多分大丈夫かも。手続き上はどこにも落ち度はないように見えるから、原子炉を止める理由は特にないんじゃない?まあ、予想外のことが起こったらわしゃ知らんが・・・」
もっと威厳のある表現だったかも知れないが、こういうことだ。

報道でも刈羽原発の事故は審議後であったため、反映されてなかったという。しかし、手続き論の問題に終始するのではなく、本当にシステムの安全性を判断するのであれば審議を差し止めても最新のデータを反映するべきではなかったのではないか?

事故が起きてからでは現状を回復する手だては全くないのだから・・・。


このグラフはイメージです
当ブログとしては珍しく、硬派で社会派な時事問題「食品偽装問題」に鋭く切り込むべく冷徹かつジャーナリスティックな視点で論考を加えてみようと思う。

今回とりあげる商品は、武士の情けで会社名はあえて挙げないが某江崎グリコ株式会社の「バンホーテンチョコレート ディアカカオ」である。この商品の突っ込みどころである、いや特徴である香味曲線であるが、HPの商品紹介では以下のように説明されている。

「食べた瞬間、パッと華やかに香るカカオが印象的です。その後、少しずつ際立ってくるのが、濃密なココアの風味。食べ終わった後も、ココアを飲み干したような余韻が後を引きます。カカオとココアの味わいに、厚みを与えているのが繊細なミルクの香り。ほろ苦さの中にもコクのある、まろやかなチョコレートに仕上げました。カカオ、ミルク、ココア。3つの香味がときほぐれてゆくおいしさを、どうぞゆっくりと時間をかけてご堪能ください。」

しかし、このグラフ(商品本体ではの包装内、箱裏面に記載されている)であるが、注目すべきポイントはグラフ下の「このグラフはイメージです。」という記述である。
横軸に「食べ始め~食べ終わり」の時間軸、縦軸に香りの強さをプロットし、一見客観的なデータの装いをとっているが、イメージだそうである。つまり、北九州限定うまい棒明太子味の「商品パッケージの写真は商品の味をイメージしたものです」と同じ意味である。これは客観的に検証されたデータを装い、実質を伴わない商品を売りつける悪質な手口である。

顧客に対し「この見積もりは商品イメージです。お客様の条件で変動いたします。」とか「この料金プランはイメージです。」という注意書きが通用するとは思えない。そういった意味では一般顧客を小馬鹿にした詐欺商法と言わざるをえない。(*1)
社会に与える負の影響力を考えると、江崎グリコに対して我々消費者は声を上げる必要があるのではないか?

・・・なんて。常識的に言って目くじらたてるような話ではないと思うのだが「このグラフはイメージです」というコピーがあまりにツボだったので、ちょっと書いてみただけっす。
なお、味については当ブログ専属季節限定商品評価部によると「ビタースウィートの方は季節限定商品としては悪くない」とのことであり、珍しく高得点をはじき出しておった。ちなみに「クリーミーの方は甘すぎで駄目駄目である。」という評価である。


(*1)考えてみたらソフトバンクの商品説明って結構、これに近いものがあるなあ。
先日、うちの奥さんの携帯をAuに切り替えるため、ソフトバンクショップに行ったところ、隣で初老のご夫妻が受けていた説明を聞いてても、ほとんど意味がわからんかった。消費者保護の観点からあれはまずいんじゃないかとつい思ってしまったぞい。


未整理だが備忘のため・・・
経済財政諮問会議が25日の会合で公的年金改革に必要な財源問題を議論するそうである。

ここでの議論で基礎年金の財源を全額税でまかなう「全額税方式」を採用すれば、消費税に換算で約6%の税率上乗せが必要とのこと。民主党は「全額税方式」を採用し消費税率を5%に据え置くようだが日本経団連も「全額税方式」を提言している点がやけに不気味である。

自分は「全額税方式」自体は必ずしも反対ではない。しかし、その財源として消費税を税率の上乗せを行うのであれば問題外である。

①逆累進課税方式である消費税は低所得者層に負担を強いるもので、福祉目的の税方式としては言語道断。もし福祉目的の増税であるのなら消費税ではなく累進課税で増税すべきである。
②消費税の増税は国内消費の冷え込みを招き、輸出中心の大企業以外の企業にとっては将来的な大打撃を与える。その結果、日本経済が冷え込むようでは財源見直しの議論が出てきた経緯からすれば本末転倒もいいところである。どう考えてもキャノンやトヨタくらいじゃないか、影響が少ないのは。
③そもそも年金は積み立て預金ではない。消費税を目的税化するなら年金支給の条件を緩め、申請すれば即座に給付するような制度に移行しないとおかしい。
④極論であるが福祉目的税としての消費税増税であれば、日本国民以外の外国人居住者低所得者層に対しても生活補助など給付するようにしないとこちらもおかしい。

以上が消費税増税を全額方式採用のための財源に充当することに反対する理由である。

*

村野瀬様とむ丸様をはじめ、あちらこちらで言及されている米国の年次改革要望書の件について。内容について、整理が追っついていないので第一印象を述べるにとどめる。

何様だよ、あんたらは?

以上である。
個々の条項について詳細を検討するまでもなく、日本国内の経済的イニシアティブを実質引き渡せといっているようなものである。あまりに一方的な要求だけ突きつけられておるので、どう読んでも日本を属州としか扱っていないことが明らかである。
冗談抜きでなんで保守系タカ派の皆様方が怒り来るって「キイキイ」言わないのか不思議でならん。

おまけに報道がない点も、愛国主義な方々こそ「なんてことするんだ、亡国メディアは。キイキイ!」と吼えるのがスジであろう。例の「岩国米兵暴行事件」も含め、「長いモノにまかれろ」というのが普段威勢のいいかっちいいことほざいている右翼の方の本質なのだろうか・・・とつい余計なことを書いてしまうのであった。

*

書こうと思っていたお気に入りバンドBlackBlackについてはいずれまた別エントリにて・・・。

憲法の下に日本軍を武装解除せよ
以前のエントリで「国際貢献するならISAFの復興支援活動を丸腰で行え」と口走ったのだが、自分の認識は甘すぎだった。ここ1週間オフラインの報道から伺い知れる内容だけでも、その意見を撤回せざるをえなくなってしまった。もはや派兵や集団的自衛権が違憲かどうかなど瑣末なことだ。

そもそも、日本軍を海外へ一歩も出してはいけないのだ。

まるで日本軍はシビリアンコントロールされていない。インド洋への出航を前内閣が知らなかったとか給油関係の情報が報告されない(実際に記録が残っているかは問題ではない)、守屋氏の癒着の問題、ひげの隊長の駆け付け援護発言、日本軍による国民監視。結局のところ日本軍は国会はおろか内閣までないがしろにして行動する危険性を孕んだ集団だと言わざるをえない。(*1)

そんな集団がアフガニスタンに派兵されて民間人虐殺を行っても、「間違って記録は破棄しちゃいました、てへっ」なんて国内向けに声明を出しうやむやにしておしまいだろう。日本軍によるアフガン虐殺がありえないことを保障する制度もシステムも今の日本には存在していない。(*2)

そして、このことは日本軍が国家の意思を無視して国民に武器を向けるということでもある。単に海外に出したらいけないというレベルの問題ではないのだ。国民が日本軍に蹂躙される状況が目の前にあるということなのだ。そもそも日本軍は既に国家とは別の意思で行動する集団なのだ。何も国民に明らかにしない、報告しない。どのような論理で行動するのかまるでわからないカルト集団のようなものなのだ。

また、特定アジアと揶揄される国々が日本を脅威と見做すことは十分に合理だと言えるのだ。日本国民は自分たちが平和憲法を持っていると考えており、侵略する意図はないと考えているかもしれない。しかし、憲法に従うつもりのない、おまけに内閣や国会の承認さえ無視するカルトな軍隊が存在するということは、先の大戦のトラウマなのではなく今ここにある現実の脅威なのだ。例え、日本がいかに平和外交しますと言ったところで、近隣諸国にとって侵略は絶対ありえないという担保にならないのだ。外交してる脇からミサイルが飛んで来ないことを一切保障していないのだ。この点だけでも「日本を仮想敵国として他国が武装すること」を非難する根拠は全くない。

以上より、給油新法(*3)などという馬鹿げた議論をする前に、シビリアン・コントロールを保障する制度を再構築することが緊急の課題であると結論する。
国民は日本軍を武装解除させ、シビリアン・コントロールを取り戻す必要があるのだ。


(*1)もし「民主党ならシビリアン・コントロールができるから」と考えての「民主党が政権をとったらISAFへの参加する」という小沢発言なら、ちょっと小沢氏を見直してしまうぞい。

(*2)でもって後世において、命令文書はなかったから「アフガン虐殺はなかった」と言い出す歴史修正主義者が出てくるのだろう。

(*3)実は紛争地帯に日本軍を送り出したら、何をするかわからない。そのことを自民党は十二分に理解している。だから外交上の担保として給油新法を成立させようとしている。だとしたら、それはそれで一つの見識ではあると評価できるが支持するための正当な根拠はそもそもない。
トンデモな裁判があったら、教科書は検定を通らないの?
アニカ様のところのコメント欄が面白すぎた(失礼)ので、一言だけ。

教科書検定問題って「日本軍による自決の強制があった」事実認定の問題ではなく、「なぜカルトな検定意見が採択されてしまったのか」ということだ。だから、政府のやるべきことは単に「カルトな検定意見が紛れ込んで採択されてしまったプロセスを国民の前に詳らかにし、再発防止策を明確にする」だけのことである。なんで政府与党はそういうごく当たり前のことをする見識がないかなあ・・・?

なので、「自決強要の事実認定」を教科書検定問題を議論する際に俎上に乗せるのは、そもそも問題外。ちなみに裁判で係争中の例があるから教科書の記述削除がまかり通るのであれば、「太陽が地球の周りを回っている!」と訴訟を起こすトンデモな方がいらっしゃったら理科の教科書から天文学の記述を全て排除するのと等価っす。

*

日本版「Dazed and Confused」最新号(「Art is Rock」特集)の表紙がかっこよくて、つい購入。エディ・スリマンの写真集がちょっと嬉しい。バウハウスのDrのケビン・ハスキンスの子供が参加しているBlack Blackのオフステージの写真が少ないながら掲載されており個人的にはポイント高いぞ!

日曜日、高輪台の古本屋に久しぶりに行ってみたら、モリニエや金子国義の画集やら山口椿の手彩色の自費出版画集、三島由紀夫関連本とか相変わらず物欲をそそられる品揃えだった。しかし、価値のわかっている方がつけている値段らしく、ちと手が出ない。く~っ!
装丁がちと面白い自費出版らしき「悪魔の花束」伊藤裕美(mille-fauile)を購入。店頭で軽~く目を通した感じだと出来はちとビミョー。だが、故寺山修司が監修していた新書館の「あなたのファンタジー」シリーズに載っていた文学趣味の乙女系作家の雰囲気がちょっとあるので、ちゃんと読もうっと。



論理的帰結を受け入れることのできない人たち
「13日の水曜日」のコメント欄で、科学系トンデモと歴史修正主義との共通点のことにチョビっと触れらていて、それに対し中途半端で無様なコメントを投稿してしまったので自分のエントリで補足。

自分では自明のことだと思っていたのだが、念のため。
自然科学トンデモ系も歴史修正主義なかった系も基本的には次のように定義する。
「客観的な事実に基づき最小限の仮定で追検証可能な論理から導出された帰結を受け入れることのできない人たち」

以上。つまり、最初から議論に値しない。しかし、やっかいな存在ではある。

時空が伸びたり縮んだりするするのが気に入らないとか、月面での運動が気に入らない、日本軍による虐殺があったのが気に入らない、従軍慰安婦の存在が気に入らない、集団自決に軍が関与していたことが気に入らない、沖縄県民集会に県民が集まったことが気に入らない。要はそういうことだ。だから、願望としての論理的帰結をうるために論理構成のつぎはぎ、蓋然性のない仮定、データの恣意的な操作を行う。

自分は自然科学も歴史学も基本的には以下の手続きで行われていると考えておる。
①客観的なデータや資料に基づいて理論を構築する。
②データの取り扱いにおいては可能な限り少ない仮定を適用する。
③適用される論理は誰が追試検を行っても同じ結果が得られる。あるいは論理を追検証しても同じ結論が得られる。
そして提示された仮説の正当性が第三者によって検証され、信頼性のある理論となる。

トンデモな人たちは、一般的に流布している理論や学説は既に多くの人によって検証済みであることをまるで理解していない。残念ながら学問の世界はカルトな誰かが言った戯言を盲目的に信じるものではない。つまんねえ検証を積み重ね、それに耐えうる理論が生き残るのだ。仮に、主流の学説をひっくり返す可能性のある信頼するに足る仮説であれば、皆間違いなく飛びつく。だから、一夜漬けで仕込んだ知識でひっくり返せるような代物ではない。いわゆる科学的思考とはそのように文明が知のデータベースを蓄積するための方法論なのだ。

当然、前提となるデータにも不正なものが紛れ込むことはある。しかし、一部の不正なデータにより理論全体が否定されることはありえない。データ全体を無理なく説明可能な理論が採択されるだけだ
このことは現行理論にとって代わる理論を提示することは、現行理論が説明しているデータを無理なく説明でき、なおかつ現行理論の説明できない問題点が説明できなければならないことを意味する。もし、現行理論が説明しているデータを単に説明できるだけであれば新理論を採択する必要は全くない。

新理論を提示する側が「なかった」論は証明不可能だ。だから現行理論側に証明義務があるというのは無意味である。なぜなら証明責任は新理論側にあり、現行理論側は過去の検証結果を提示するだけでいいのだ。そもそも、現行理論側に新たに証明させるのは無駄でしかない。そもそもトンデモ系のほとんどは現行理論の検証を行っていること、それ以前に正しい知識を有していることも稀だと考えている。

つまり、現行理論が検証済みのデータの整合性等に不都合がない限り、新理論はそもそも必要はないということだ。現実には適用限界とか、過去になかったデータが出てきて理論は修正されるが、多くの場合は現行理論を包含する形で拡張される。完全に捨て去って新理論を採択するようなことはあまりない。

ここまでは新理論を提示することがどういうことか自分の考えを述べたつもりだ。本当の問題は現行理論から導出される帰結をなぜ受け入れることができないのかだ。時空が伸び縮みする帰結が受け入れられないのは、感覚的にはわからないでもないし同情しないこともない。ニュートン力学からアインシュタインの世界に拡張される必要のある条件が日常生活には存在していないからだ。

しかし、なかった系についてはまるで理解できないのだ。

なかったという結論によって何かメリットがあるのだろうか?
そもそも、国際社会において検証済みの理論を否定することによるデメリットは思いついても、メリットは思いつかない。仮に謝罪がいやだとか戦後保障がいやだとかいう理由でなかった論を展開し維持するとしたら、その虚妄を維持するためのコストは馬鹿にならないし、リテラシーを排除するのだから有形無形のデメリットは無茶苦茶大きい。そんな無駄なことをするのなら素直に謝罪したほうがはるかに少ないコストで周辺諸国からの信頼は得られると思うぞ。

他国から似非科学や歴史修正主義に頭が汚染されている馬鹿国家認定されたくないぞ、自分は・・・。


最近、こんなん聴いてます
たまには音楽系ブログらしいお話を。
最近、聴いてるCDを新旧譜問わず紹介っす。

THE CURE 「Mixed Up」
いわゆる広義のゴス。70年代末のデビュー作から「ポルノグラフィー」のあたりまでは暗黒浮遊感のある音をバックに猫なで声のロバートスミスのボーカルが異常にかっこよかった。以降、ポップミュージックへの接近を見せるがゴス感覚を消化した上なので一筋縄ではいかないひねくれ感が、いわゆるメインストリーム系の音と一線を画しておった。ちなみにロバヲのルックスは、こいつらが海外ではアリーナ級のバンドとして受容されている事実が納得できないアングラ感を醸し出している。
ちなみにこの音源は90年初頭に「ディスインテグレーション」の前後にリリースされた旧譜からのリミックス集。どの曲も好きなのだが、やはり当時は「NeverEnough」が一番好きだった。

CruciFiction「on the verge of tears」
ロシアの美形5人組によるゴスっぽいアイドルポップ。一昨年にリリースされたものだが、NEW GLAMというキャッチをハイプと見るか本気か悩んだがルックスが決定打で購入。
音楽的には文字通り身もふたもない浪漫チックサウンドで気分は70年代少女漫画のロックバンドである。といっても揶揄しているわけではなく捻りのないストレートな作りが高感度高い。日本のビジュアル系聴いているムキにも全然問題なく入ってくる楽曲ばかりなので洋楽なんて聴かないよ・・・ってムキこそ試して欲しい。個人的にはビジュ系バンドのラファエルを思い出しちまったぞい。

キャンディフリップ「マッドストック」
なんかHugh誌の80年代特集でとりあげられていたけれど、90年代の始まりとして評価すべきアルバムなんじゃないかと思うのだが・・・。
88年以降のレイブミュージックの流れの一つなのだが、当時は「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」のなめたカバーをやってるユニットというイメージでハマれなかった。同じ傾向の音でもクリエイションレーベルからリリースされてたラブ・コーポレーションの「ラブ」の方が圧倒的に好きだったので、最近までずっとほったらかしにしていたもの。
今聴いてみると当時は結構偏見があったなあと反省することしきりである。


オージー「ヴェイパー・トランスミッション」
KORNの主催するエレメントリーから2000年にリリースされたサイバーゴスなアルバム。アン・ライスの小説「ヴァンパイア・レスタト」の優秀なサウンドトラックだと思う。
所謂ヘビーグルーヴを消化した上でエレクトロニカに接近した音は出自は違うが、ゴシック・インダストリアル・メタルなんかと共通する感覚がある。ゴスといってもポストパンク期のバンドとはアレクサンダー・マックイーンとH.A.NAOTOくらい違うっつーか,よくできたプラモデルみたい印象があるが(なんのこっちゃ?)これはこれでグーっす。うるさいところが特にいい。

ピンコピンコ「ザ・モダン・ボーイ」
94年リリース当時「スウェディッシュポップのBLUR」みたいな紹介のされかたしていたけど、BLURほど捻くれた感じもタカビーな感じもないので「好感は持てるけど毒にも薬にもならねえバンド」とほっておった。しかし今聴くとポップミュージックとしての楽曲のよさは少しも損なわれていない。もちっと嫌な連中だったらもっと売れたんじゃないかと思う。

マシュー・スウィート「ブルー・スカイズ・オン・マーズ」
左腕に「うる星やつら」のラムちゃんの刺青を背負ったソングライターのギターポップアルバム。文句のいいようのない出来っす。おまけにジャケットはバイキングの送ってきた火星の写真にロジャー・ディーンのデザインしたロゴが踊るというSF者には避けてとおれぬ代物。それだけでオールOKっす。
ちなみにゴスを標榜しているので意外に思われるかもしれないが、自分は必ずしもプログレを敵視してはいない。イエスでもキンクリでもピンクフロイドもOKである。特にロジャー・ディーンのイラストつきのジョン・アンダーソンのソロ「サンヒーローのオライアス」なんか大ッ好きである。あとチェンバーロックのアール・ゾイもお気に入りだし。
要はジャンルとしての形式に甘んじているバンドはいかなるジャンルにおいてもつまんねーと思うし、はみ出していく要素のあるアーティストであれば3ミニットポップであろうとハードロックであろうともいいと思うということっす。もちろん様式美には様式美のよさがあることは理解しているつもりやけど・・・。

ニールズ・チルドレン「サムシング・パーペチュアル」
昨年のID誌「Horror」特集号で紹介されていたバンドなのだが、キュアーっぽいビジュアルとゴスポップという紹介のされ方をしておって、つい手を出しちまったわけだ。
最近はフランツ・フェルディナントとかNWリバイバルな音を出すバンドも色々ある。しかし、この連中、ポストパンクそのものの音をポコっと出しちまっている。っつーか懐かしいとか言ってる余裕もないくらい、切迫感もってポストパンクなざらついた音を出しとるのだ。過去にリリースされてた「オールウェイズ・イズ・セイム」なんて初期スージー・アンド・バンシーズみたいなヒリヒリするようなギターサウンドを出していていいぞ。(ちと、誉めすぎか?)


以上、とりあえず駆け足にて。
さあ、算数の時間だあ!
Kimera25様のところでも取り上げられていたお題、いや記事。

<児童手当>母子家庭の削減凍結、低所得世帯のみ…自公方針
10月14日3時5分配信 毎日新聞

 自民、公明両党は福田内閣発足に伴い、格差問題に取り組む目玉政策の一つとして、母子家庭に対する児童扶養手当削減を凍結することで合意していたが、対象を低所得世帯に限る方向になった。厚生労働省の06年度調査で、母子家庭の経済環境が改善していることが分かり、一律な削減凍結は難しくなったためだ。自公合意の削減凍結は約160億円規模だったが、数億から数十億円程度にしぼむ。データに基づかない政策合意が早くも後退することになる。
 児童扶養手当は、離婚などで母子家庭の生活が激変しないよう、所得に応じて、世帯当たり月額9850~4万1720円(児童1人の場合)を支給する制度。社会保障費抑制策で、08年4月からは5年以上受給している世帯について、支給額を最大で半分まで削減することが決まっていた。今年3月末時点の受給者は95万5844人。
 削減の凍結は、9月の福田内閣発足時、公明党が「政権が代わったことを実感してもらえる」(幹部)政策の一つとして自民党に提案。両党は9月下旬「凍結について早急に結論を得て措置する」ことで合意した。
 ところが、厚労省が昨秋、約2000世帯を対象に実施し、約1500世帯が回答した調査の速報値で、母子家庭の母親の就業率は84.5%と、03年度の前回調査から1.5ポイント上昇。平均年収も213万円と前回を1万円上回った。雇用形態では常用雇用者が前回の39.2%から42.5%に増えている。景気回復の影響とみられる。
 ただし、改善傾向が見られても、全世帯の平均所得を100とした場合の母子家庭の所得は37.8にとどまるなど、置かれている状況が厳しいことに変わりはない。【坂口裕彦】

ということらしいのだ。生データが提供されていないので乱暴ではあるが丼勘定で考えてみる。
・対象世帯の所得額の分布がどうなっているのかよくわからんので平均額に分布すると仮定する。要は213万円とする。
・所得額の分布がわからないので支給額が中央に分布するものと仮定する。平均支給額が月額2万円と仮定する。
・平均年収213万円の世帯では貯蓄に回せる余裕はほとんどないと想定される。ということは全収入が全て消費に回ると仮定する。

今回の措置により半分減額されると仮定すると月額1万円の減額。(年間12万円の減額。)年収比5.6%減
対象世帯の全てにおいて年間1万円の増収があったと過程する。年収比0.5%増
差し引き年収比5.1%減。

え~?
全然、経済状況の改善、景気回復の影響ってないじゃん。でもって仮に消費税が5%から7%に上がったりした日にはこれに2%の減だから年収比7%も、減収するのと同じ効果になるわけだ。しかも同じ比率でも低所得者ほどインパクトがでかい。いや~低所得者層狙い撃ち。さすが無責任福田政権言うことやることからして違います。これで「政権が代わったことを実感してもらえる」なんて、お題をいただいてもね・・・。

また恫喝するのですか?国民に対するテロルですか?
自民党の中谷元・安全保障調査会長(元防衛庁長官)は14日、「(給油活動は)国際社会の中で非常に評価され、ぜひ続けてくれと要望されている。反対するのはテロリストしかいない」と言ったらしい。

しかし、政府には国民の自由意思、意見を批判する機能はない。政府が反対意見をテロリスト扱いするのは、「おれの意見に与しない奴は全て敵だ」という国民に対する恫喝でしかない。福田氏といい枡添氏といい、いい加減にして欲しい。
政治家の皆さんはなんか勘違いしておられるようだが、国民は政府にお願いをしているのではない。国民が政府に命令するだけなのだ。万が一、給油活動に大儀や実効性があったとしても国民がNOを言ったら、給油活動は停止すべきである。

ついでに付け加えるなら教科書検定を行うことも問題外。政府の役割は国民が教育を享受できるよう、支援し邪魔しない制度と環境を作り上げることである。政府が国民に「教育内容がどーこー」と説教する機能なんてない。つまり教育再生会議なぞという税金の無駄遣いはさっさと止めて教育基本法を再改正し本来あるべき姿にしろ!・・・ということっす。

どうでもいいけど、テロと言えば、自分は食い意地テロと可愛いテロに容易に屈服するヘタレです。「13日の水曜日」のお嬢様テロのような危険なエントリでいつも轟沈しております。自分でも莫迦だとは思っていますが積極的に地雷を踏みにいっているような気がする今日このごろっす。


道具に思想も自由意志も認めちゃいない
最近のISAFの活動なら自衛隊派遣もOKという民主党小沢氏の発言に色々批判も出てる。ふと自分の考えを整理してみる。

まず、自民党のいうテロ特措法の延長、給油新法については問題外であることは論を待たない。給油実績がピーク時の10%以下となっている現在、既に国際社会に給油が必要とされる時期は既に完了しているだろう。しかも臨検としての実績はほとんどなし。イラク攻撃転用疑惑もあるが、インド洋上で作戦展開されるどの船舶が日本の提供した燃料を使用したかなんてどうでもいい。そもそも日本が特定国、米国のインド洋上の兵站活動に協力していたことが問題なのだ。おまけに米国のシュブロンと日本の商社に日本国民の税金が確実に落ちるスキームができているとしたら、国際貢献なんてお題目は欺瞞だ。要は特定の人たちのポケットに円が転がり込むためだけの法案でしかない。

ISAFの活動への参加であれば国際貢献という点ではまだましだ。もちろん国連主導の元でさえ自衛隊の派兵は憲法違反だという論点もある。当たり前だ。しかし、サマワへの自衛隊派遣、空自による輸送活動支援自体、既に違憲である。このことに対して派兵を行った自民党の判断が総括されないのはおかしい。また、小沢氏発言をよくよく見ると別に治安維持活動だけではなく復興支援活動としての国債貢献の可能性は否定されていない。

ここでフォーカスされるのは危険な地域に復興支援活動に行くのは、自衛隊を危険に晒すことにならないか?当然、現地で戦闘に巻き込まれた場合の集団的自衛権を認めるのか?憲法九条とどう折り合うか?という点である。小沢氏は国連活動としてなら、憲法より国連の判断が優先するという理論らしい。悪いが、この点では小沢氏を支持しない。

まず、復興支援であれば危険な地域に行くのは当たり前だろう。現地の民間人はその危険な状態の中で生きることを余儀なくされているのだ。なぜ、そこで危険だから日本人を派遣するのがいけないという議論になるのだ?国債貢献の名の下に優先されるのは日本の都合ではなく現地の復興ではないのか?
そして現地で集団的自衛権を認めるのか、憲法とどう折り合うのかという議論については、なぜ丸腰でいけないのか?と問いたい。派遣された自衛隊員が死んでもいいのかと聞かれたら、きっぱり言いたい。「死ね」と。

大体、武器を持ち込んで自国に入ってくる軍隊を信用する人間がいるか?リスクを高めて戦闘状態が起こりやすくなるだけではないのか?しかも交戦状態になった時、自衛隊員は生き残るかもしれない。しかし現地の民間人に被害の及ぶ危険性は飛躍的に増大するはずだ。なんのために復興支援に行くのか?現地の民間人のためではないのか?それが民間人の被害者を出してどうする?大儀のために死ぬ覚悟があるのなら最初から問題あるまい。武器を持っていようといまいと死ぬ時は死ぬのだ。

比較的安全なところで「戦場で命かけてます」なんてナルシズムに酔ってる馬鹿参議院議員なんて、国際貢献の上では邪魔なだけである。政治家も軍人も所詮国民の道具に過ぎない。思想も自由意志も必要ないのだ。いやそんなもの認める必要さえない。国民が間違っていようといまいと言うことに道具は従わなければいけないのだ。だから、国民が「死ね」と言ったら死ね。そんな覚悟もないのなら「命かけてます」なんて台詞はお笑いでしかない。

ISAFの復興支援活動として一切武器を持たずに派遣する。これ以外の方法は国際貢献とは名ばかりのものだと断定する。

ここは米国の51番目の州
武器が配られ神様たちが讃えられても
TVが映す戦争はどうにも説明がつかない
銀行員はホワイトカラーの下で汗まみれ
ポケットの中の円がドルに変わっていく
ここは米国の51番目の州

抜粋して書いてても唸ってしまう詩。実はこれ1986年にリリースされたザ・ザ(TheThe)の「インフェクテッド」収録の「ハートランド」の一節である。円じゃなくてポンドだけど・・・。
ザ・ザは4ADレーベルからデビューしたマット・ジョンソンのユニットなのだが、すんなり耳に残る楽曲が秀逸でこのアルバムについては精緻に作りこまれたサウンドが効果的に機能しておる。ザ・ザは随分コマーシャルでフックの効いた曲作りをしている。しかし、にも関わらず歌詞がいちいち強烈なのだ。

米国によるリビア爆撃、大国主義そして米国に搾取されていく母国英国を痛烈に批判する政治的メッセージが歌われていく。同時に制作されたビデオクリップはマット・ジョンソンによる意図が立体的に浮かび上がってくる見事な出来で、やりきれない気分にさえなる。機会があれば是非見てほしい。オリジナル収録の全8曲、全く駄曲なし。どの曲もグサグサ刺さってくるのだ。強いて言えば「インフェクテッド」「スウィート・バード・オブ・トルース」「ハートランド」がお薦めである。

さて、このアルバムが20年前にリリースされたものであることは先も書いたとおりだ。文句なしに傑作アルバムと断言する。

しかし、米国の51番目の州に成り下がった英国を歌うこの「ハートランド」はもちろんのこと、どの曲のメッセージも悲しいことに20年たった今でも有効であり、極東のこの日本においても現在進行形の事態なのだ。

愚かなことを何度繰り返しても懲りもしないし進歩もしないこの世界を支配する論理を目の当たりにするようでやりきれない。

もしかして国会答弁は大喜利のお題?
一昨日より国会が再開されたのだが、なんか与党の答弁がイチイチつっこみどころ満載で本気で言っているのか悩んでしまう。
大体、与党の回答は質問に対して何も答えていない状態なのだ。流石にこれを答弁というのは問題ありありだろう。

枡添氏は年金問題について「一ヶ月でシステムを修正するよう指示した」とか答弁してたけど、まじめに大規模システムを再構築しようと思ったら最低半年くらいはかかると見積もってしまうのだが一体どんな根拠に基づいた発言なんやろ?
社保庁のような汎用機系の開発ならウォーターフローモデルで設計するから、半年という見積もりにしてもシステムの問題点が明確で上流工程が滞りなく流れての話である。現実問題としては現行システムが可動している状態で変更後のシステムに移行しなければならないのだから移行リハーサルの工数やスケジュールをまじめに考えたら、キッパリ無理っす。
それに現存するデータの欠損状況の調査も全くやってないのに、なんで設計できるんや?稼働後に実はシステム設計が不十分だったために追加予算を申請しますなんてオチなんやろか?

また「各省庁間の連動が必要だから協力をお願いするのは当然」みたいなことを口走っていた。しかし、そもそも年金問題の解決のための現状把握や作業見積り、経費見積りがろくすっぽ行われていない状態で年金問題解決という御旗の下、各省庁がジャブジャブ好き勝手に税金を投入する口実を与えて、挙句の果ては「ううん、やっぱり安定的な収入が見込める消費税を財源にするため、消費税ア~ップ」なんて言うための布石なんじゃないかとさえ穿っている。

テロ特措法の問題にしても、福田氏はほとんど何も発言していないのと同じ状況だ。衆院予算委員会での石破防衛相は「『不朽の自由作戦』(OEF)はペルシア湾でも実施されている」とか「「ときわ」から再補給された燃料は空母が高速で航海したため3日以内に消費され、イラク作戦が開始する前に消滅した」と米側の説明を紹介し「説明は合理的だ」と強調したらしい。
でも、これって彼女から借りたお金を他の女に貢いで、問い詰められたら「昨日借りたお金は昨日のうちに家賃を払うのに使っちゃたのだ。他の女に貢いだお金は今日入った俺のバイト代だ。だからお前から借りたお金の使い道には道義上問題ない。」と逆切れする論理と全く同じような気がする。

なんか次から次へと大喜利のお題を出されているような気がするのは自分だけだろうか?

P.S
以前、福田氏が小泉政権下で白昼堂々と「国家が国民に対して恫喝を行う」ようになったことを思い出したと書いたが、枡添氏も地方に対して「そういうことは地方交付金をもらわないで言え」としっかり恫喝しておったので国民を恫喝するのは自民党のDNAレベルで染み付いた体質なのねと納得してしまった。


正則性という正義と組織力学のハードSF
無茶苦茶好きな「宇宙船オロモルフ号の冒険」について、書いてみたい。

工学博士でもある著者、石原藤夫による応用数学テーマの、というよりズバリ複素関数テーマのかなり濃いハードSFである。そもそも、この作者は講談社ブルーバックスで「銀河旅行1、2」という銀河旅行の可能性について大真面目に論じた解説書を著したり、SFマガジンの連載で亜光速ですれ違う宇宙船がどのように見えるかとかエネルギー変換効率とかについて検証したり。おまけに、ハードSF研究所なるボランティア機関(?)を立ち上げるなどハードSFに触れたことのあるものには避けて通れぬ路なのだ。

しかも、この作者のすごいところは理論的可能性を追求する上で、きちんと現時点での工学的、技術的限界を無視することができる点である。表面的にガチガチの知識で固めている人達にはできない真似である。だからこそ「ブラックホールのお茶漬け」なんてアイデアも平気で出てくるのだろう。(*1)

さて、話を戻そう。この物語は迫り来るエネルギーとエントロピーの邪悪に宇宙の正則性をかけて立ち向かう世紀末人類の英知の結晶「オロモルフ号」の戦いを描いておるのだ。ここまで読んで「なんのこっちゃ?」と思ったそこのアナタ。ある意味その直感は正しい。全五章で構成されているのだが、各章「複素関数の特異点」やら「漸近級数展開」「変分論と集合論」と補足がついてわかるように(?)、もろ複素関数の補講を受けているような気分になる展開である。もちろん物語なので予習は不要。複素関数に理解があろうとなかろうと、展開されるイメージの奔流に圧倒されること請け合いで、今まで読んだことないような世界を読みたいという生粋のSF者にはたまらない世界なのだ。実は20ン年前、高校時代にSFマガジンに掲載された第四章「苦闘」で初めてこのシリーズに触れたのだが、ここで展開される宇宙の涯のイメージは鮮烈だった。匹敵する世界は光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」か小松左京の「はてしなき流れの果てに」くらいだと今も思っている。

社会人になってから、実家のゴタゴタでどこかになくしたハードカバー版の代わりに文庫版で入手して読み返してみたのだ。その時、初めて主人公ジロウ・コイズミの「主任はつらいよ」的な世界がはっきり見えてきたのだ。実は、この物語は大規模プロジェクト内の組織力学をテーマにしたハードSFだったと断言していい。組織の部門間の軋轢の中、下部組織に位置する主人公が正則性という正義をかけた戦いの中でどのように主導権を握り、舵取りをしていくのか。そのあたりが実は今の自分には愉快痛快だったりする。

ふと思いついたように複素関数のテキストなんて読み返してみる今日このごろである。


(*1)未体験者はヒノ・シオ・コンビの活躍する惑星シリーズから入ることをお薦めする。個人的には「ブラックホール惑星」の野放図さが大っ好きである。整合感を気にするムキは「ハイウェイ惑星」がいいかもしれない。

自分たちは生き延びることができるか?
昨日、ブロードキャスターをボケ~っと見てたら、アマゾンの違法伐採で日本の面積の二倍が伐採されている話をやっておった。
大豆価格の高騰により、大豆栽培が儲かるからといって地元農家などがそちらにドカっとなだれ込んだ結果である。毎度のことながら、その輸出先が日本でコメンテーターの方々がとってつけたように「やりきれない気分になりますね」と、とりあえずの善意のコメントをつけていたわけなのだ。正直なとこ少なくとも地球規模での収奪構造がある限り、ブラジル農家の人たちを非難する気にはなれない。だからといって、この状況がいいわきゃない。

こーゆー状況に対して有効な方法はあるのだろうか?

この手の話って、食料として輸入する先進国の存在、エコに優しいと言われるバイオマス燃料などによる大豆等の原料価格の高騰、遠因としての石油価格の高騰がその背景にある。だとしたら、日本のとる手立てとして次のことが考えられる。

国内での食料自給率を上げるための農業支援政策を打ち出すこと。当然のことながら海外からの輸入依存率を減らすことである。しかも、ライフラインを輸入に頼る限りギャグにしかならない安全保障の面でも有効な手立てではないだろうか?少なくとも外圧で食料自給率を低いままにしておく政策をとり続ける政府はそれだけでも責任ある政府にはふさわしくない。
そして、「風が吹けば桶屋が儲かる」式の論理に聞こえるかもしれないが、「郵政民営化」を凍結すること。要は石油価格の高騰や穀物市場の高騰をコントロールしている米国資本の力を少しでも弱めるため、日本政府による米国債の購入、あるいは日本国民の現金が米国資本に転化されることを防がなければいけない。米国債として流れた金が日本の企業買収に使用されているとしたら、なおさら闇雲に米国債を購入し続ける政府を支持する理由はない。

地球規模での生き残りを考えることは、日本国民の生き残りと全く利害は一致していると思っている。でもって結論めいたものがあるとしたら新自由主義政策やら「郵政民営化!」「カイカクッ!」とかどなたかがほざいているものは国益上も無意味だし、地球規模での生き残りの上でも有害極まりない・・・ということだけである。

P.S
どーでもいいけど郵政民営化からこのかた、「国民の皆様の指示で・・・」とか「民主党は協力政党」とか小泉氏が堂々たるペテン師ぶりを発揮しておった。もういい加減飽きたけど。一方「10%は支持率を押し上げる」とワイドショー人気の枡添氏が他人サマを小馬鹿にしたような発言を繰り返すゴーマンぶりを発揮して、「この人そもそも人としてのどうなの?」という印象である。この余裕のなさはペテン師としてもそそろヤバいんじゃないかと心配してしまうぞ。この二人の差ってなんなんだろう?

やっぱし、髪の分量?


媚びへつらう国を対等に遇してくれる国はいない
アップする気はなかったのだが備忘のため。

以前、どこかで日本の国連常任理事国入りは「米国は二つもいらない」という理由でありえないだろうという話を読んだ。(うろ覚えで申し訳ない)実話に基づくものかは別にしても、この論理はアリだと思う。
というのは米国べったりで独自の意思を示さない国が常任理事国入りすることは単に米国の票を二つにするだけ。他国にとっては、米国の影響力を強化するだけのデメリットしかない。普通に考えてみれば、そんな国をわざわざ常任理事国入りさせようとは思わないだろう。

このことは対米追従政策を続ける限り日本は外交的なチャンネルを失うばかりだということを意味する。

なにしろ日本に言うことを聞かせるのに直接対話するより米国と話した方が効果的なのだ。なんで日本と話す必要がある?
少しでも知能のある国家なら、日本との外交チャンネルを維持する必要性はないと判断するだろう。おまけに米国にいつもお願いするような外交力しか持たない国家は、米国からも対等な同盟国としては見做されないだろう。なにしろ自分のとこにはない独自の外交チャンネルなんて日本はろくすっぽ持たないのだ。同盟国として期待する何があるというのだ?

小泉政権以降の外交的成果は、日本が国際社会の中で孤立し使い捨てされるための道を拓いたことだった。そう結論づけてもいいんじゃないやろか?


P.S

(10/2)に国産ステルス実証機のスケールモデルが公開されてたけど、なんかビミョー。
F15を三菱重工風にリアレンジしたものにチョコっとステルスっぽい要素を追加した印象。意地悪く言うと現在の日本の航空業界のノウハウで作った機体にステルスっぽい要素技術が蓄積できればいいかな・・・程度のノリ。全体のバランス見てたら運動性を確保するためにカナード翼追加しました。でもってステルスとしては駄目駄目じゃんみたいなオチになりそうなんだけど。
本気で独自のステルスやろうとしたら、静的安定性度外視で効果的な外形を策定するとこから入らないと全然意味ないような気がするぞ。もしかしたら想像の及ばない技術が投入されてたりして・・・なんてわきゃないか。

そもそも専守防衛を掲げる限りステルス技術を蓄積する必然性がないのに、なんでこんな中途半端なものに税金を投入しちゃうんだろう?

なんか頭悪すぎ・・・。

ビーナスの運命
HIMの最新作「ビーナス・ドゥーム」を聴く。

以前、ベスト版「アンド・ラブ・セイド・ノー」を聴いた。ゴシック感覚がほのかに漂う浪漫チックなメロディラインとヘビーなリフ。そしてダニエル・アッシュやロバート・スミスみたいなディレイバリバリ、エフェクティブなサウンドテクスチャを間奏部に織り込んだ楽曲は決して悪くはなかった。なによりボーカリストのヴィレ・ヴァロのルックスがいい。しかし、自分にとってHIMはヘビーメタルやフォーク、ゴシックの折衷主義的な産物だった。だから、ヘビーローテーション状態になることはなく、気にはなるけどビミョーなバンドとしてしばらくほっとかれることになったのだ。

さて、新作はマイ・ブラッディ・バレンタインの「ラブレス」(*1)、メタリカの「メタル・マスター」を合わせたようなアルバムになる。そういう話が流れた時、実は頭の中は???だった。大体、どちらも轟音とは言え前者はコクトーズ直系の天上的な音、後者はスラッシュメタルのマッシブで身体的な音。一体、どんな音になるんだ?と悩んでしまった。

ベスト盤聴いてイマイチだと思ったくせに近所のレコファンで発見した時、早速購入。で、実際に聴いてみたら、事前の噂のとおりハードになっておる。おまけに緩急自在の楽曲の練り込み具合もいい。でも「マイブラはどこに行ったの?」・・・というのが第一印象である。もしかしたらSE的に挿入されたサウンドコラージュ的な部分がヴァロのマイブラ解釈なのかもしれんが。

自称「ラブ・メタル」なHIMは、そのサウンドをゴシック・ハードロックとか紹介されていたのだが、正直ピンとこなかった。ゴシック感覚至上主義的に言えばゴシック・メタル・バンドのエレンドあたりのクラシック、声楽的な楽曲への志向や、パラダイス・ロストの有無を言わさぬデス声の方が生理的にわかり易かったのだ。なによりベスト盤聴いた時点では自分の方で勝手に想像していた音との落差を自分の中で消化できなかったのだ。
上手い言い方が見つからないのだが、あちらこちらのHIM紹介記事に冠されるゴシックというキーワードから勝手に天上的、審美主義、象徴主義的なイメージを期待していた自分が悪いのだ。HIMってどちらかと言えば浪漫主義的なダイナミズムとドラマトウルギーを内在したバンドなのだ。そう認識した上で、このアルバムを聴くと隅々にまで目が行き届いた音作りといい、がっちり構築された楽曲といい文句なしの傑作といっていいかもしれん。


(*1)轟音フィードバックノイズに、粘る液体のようなとろりとした甘美なメロディが官能的な傑作アルバム。ちなみにマイブラはコクトーツインズが開発した「リヴァーブ深めのノイズギターに天使的な女性ボーカルをのっける」というコンセプトをアヴァンギャルドな方向にブーストして独自のサウンドを完成したバンドといっていいと思う。ちなみにマイブラ以降、コクトーズ、マイブラ的な音を量産可能な音としてクリエーションレーベルが完成させシューゲイザー、テムズバレー一派が雨後の筍のように大量発生したのは’90年代初頭のことである。
給油新法はイラン攻撃の夢を見るか?
ヤメ蚊様のエントリ「テロ特措法は本当に必要か~給油実績から見る必要度 」で衆議院調査局が作成した「テロ対策特別法に関する資料」の一部が紹介されていた。

そこで示されていたグラフによると、現時点の給油量はピーク時である平成14年度の1/10であることが示されている。このグラフでは、既に積極的に日本がガソリンスタンドする時期は過ぎているように見えるのだ。おまけに給油対象国では米国がダントツ・・・というか、ほとんど米国のためだけにガソリンスタンドを継続しているようにしか見えない。日本政府が主張する国際貢献という点でも?なデータである。

頭悪いので、とりあえずこのデータをそのまま解釈する。
・既に無料ガソリンスタンドが必要な時期は終了している。
・国際貢献といいつつ、米国の作戦行動の兵站役しかしていない。

以上。テロ特措法を延長する理由はない。国際社会の要請があるとも思えない。テロ特措法の延長は不要だし、給油新法も不要である。

では、急いで新法を設立してまで給油を継続したい真意ってどこにあるのだろう。近い将来に日本政府が兵站に参加する作戦行動が日米間で合意されているのだろうか?そう考えると、既にイラン攻撃のシナリオが発動されているんじゃないかと疑ってしまうのだ。いい加減、国際貢献の名の下に対米追従外交をやめないと再び自爆玉砕の道を歩むことになると思うぞ、ふんとに。



備忘のため・・・
いつも、拝見させていただいているApeman様のエントリ「近道はない」で、ビルマの武力弾圧について冷静な見解が示されてました。昨日のエントリでカっとして書き飛ばして見落としていた部分があることをちょっと反省。ただ、大枠の結論として日本政府が抑圧容認をしていないか?政府のやっていることに無関心で在り続けた我々が加害者であるというという部分については特に変更はありません。それにしてもApeman様のサイトはいつも目配りが利いている点。コメント欄での修正主義者の論理構成に対する考察が秀逸な点なのでいつも楽しませていただいているブログです。

るか様の言の葉工房のエントリ「裁判員制度の実態」で裁判員制度の実態が一般的に想像されているイメージとあまりに異なることが紹介されておりました。被告以上に裁判員に選ばれた人に押し付けられるものが大きすぎる異常な制度です。この実態を広く共有する必要があると思います。




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