AmlethMachina's Headoverheels
ゴシック・ノワールを標榜するAmlethMachinaによる音楽を中心にした備忘録。
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地には平和を・・・そして慈しみを
ピンっと来た方にはもはや説明不要であろう。

無印時代から付き合って読んでおったのだから既に10年以上の歳月が流れている計算だ。「ジェダイの帰還」で見捨てたSWなんかより、真剣に「柔らかな笑顔の人間台風と呼ばれた男」の旅の終わりを待ち続けていたのだ。昨日(2/27)、最終巻刊行。堂々の完結である。最終回を連載で読んでいたとは言え、まとまった形でようやく読めるのである。

これはヘタレで天然で完全平和主義の伝説、無敵のガンマンが、宇宙船団の事故のために不時着した人類が生き延びた惑星を舞台に、その存亡をかけて派手派手にドンパッチングするディープ・スペース・ガン・アクションな物語だ。

ファーストコンタクト、世代宇宙船、失われた植民地の再接触といったSFのサブテーマとか生態系そのものをネットワークとして進化した知性とかいったマニア魂をビシバシ刺激する小ネタやらが大きな物語を構成する上で有効に機能している。そして、主人公と双子の兄との葛藤が最後の最後までどのように昇華されるのか目が話せなかったりだとか、サブキャラ、悪役キャラの造形も含めてツボ突きまくり。「たった一つの命も奪いたくない主人公がどこまで見限らないで圧倒的な現実と対峙できるのか」なんてアホなテーマを直球勝負、本当にどこまでも馬鹿正直にとことん展開するのだ。

最終巻のクライマックスはどーしても見たかった画だし、「愛すべきタフな日々は決して終わらない」というまさにそうでなければいけないラストなのだ。

も~っ、ふんとに手前勝手にすんげえ盛り上がっててしゅみません。
もしかしたら、冷静に別のエントリで書き直すかもしれません。でも理屈じゃなく、ただっ、ただっ、天然馬鹿なこの漫画が大好きなんす。あ、肝心のタイトルを忘れてた。
「トライガン・マキシマム」内藤泰弘(少年画報社)

さあ、みんなで

「地には平和を・・・そして慈しみを!」

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あなたはやくざに混じって人を殺したいのか

まるで自衛隊に「死ね」と言わんばかりの憲法の制約。自衛隊員を無駄死にさせてはならない。だから憲法を改正すべきだ。あるいは法解釈で集団的自衛権やら交戦権も認めるべきだと言う。

不本意であるが軍事力の行使は論理上存置されていると考えている。専守防衛の平和国家を護持しようと十分以上の機能は保障されている。
要は国家としての正当防衛の機能まで憲法は否定はしていない。

しかも世界で有数の軍事予算を投入した自衛隊だ。装備が不十分で指揮系統が駄目駄目なのは憲法の問題なんかじゃあない。単に予算の使い方と自衛隊員の命をこれっぽちも考えない愚か者による政策、意思決定が間違っているだけの話だ、以上。

しかし、それでも不十分だ。自衛隊員を見殺しにする気かと言う。
よろしい。現在の改憲論者の主張していることを平たく言うとこういうことだ。

やくざの喧嘩出入りに付き合うから、一緒に人をぶち殺させてくれ。

誰もやくざの喧嘩出入りにまで首をつっこんでくれなんて言っていないのだが・・・。


う~ん、おらあゴスでなくてもいいや
村野瀬様のコメント欄でルイ・アラゴンに反応したのが意外に思われたようだった。で、ポップカルチャーとしての「ゴス」というキーワードが一般的にどのように受容されているのか?ふと悩んでしまったのだ。

要は最近、流通している「ゴス」というものは80年代初頭からゴシックなるものと付き合ってきたつもりの自分の認識しているものとは全く異なるものなんじゃないかという素朴な疑問である。本当はゴシック・ロリータなるものが出現したあたりで既に割り切って然るべきだったのかもしれない。

レッテル貼り自体は決して好きじゃない。しかし、世間的に流通しているレッテルを使用するのは一々説明するのが不要で手っ取り早かったりする。だから、ゴシック・ノワールなんぞを標榜する訳なのだ。ところが、時としてこのレッテルがビミョーな裏切りを働く。

これが世間一般の認識だとは思わない。「ゴシック」というと極めて文学趣味、審美主義的性格が強い世界であり、ポストパンク期のロック形式主義を解体する過程において、その脆弱な形式性をかろうじて繋ぎとめるための命綱として機能していた強固な精神主義的な要素だったと思っている。だからヘビメタのように本質的に大仰で様式性の強いサウンドがゴシックっぽさとドッキングしても単なるギャグにしかならないし、クラシック志向を強固に推し進めてゴシックホラー映画のサントラみたいな方法論を導入しても古典的浪漫主義の形式性を内包する限り宝塚気分全開な代物にしかならない。別にエレガント・ゴシック・ロリータを提唱したMANA様が率いたMaliceMizerがそれだったと名指しするつもりはないが・・・。

要はゴシックはポストパンク期に「夜想」で紹介される衒学趣味的な世界、シュールレアリズム、仏蘭西高踏派、象徴主義、審美主義、暗黒舞踏、ノイズ、アヴァンギャルド等と同時に等価なものとして違和感なく入ってきたものだった。別にゴシックとして分類済みでパッケージされたものを受容していた訳ではない。有象無象のガラクタの中から共通する独特の薫りを放つ要素を必死になって探し出すプロセスの中から浮かび上がってきたものにすぎない。

荒俣宏の紹介するブックス・ビューティフルとまるで連動するかのように発行される新書館のペーパームーン・シリーズ。海外の写真専門誌「ZOOM」の日本版やら「PHOTO JAPON」の発刊。クラシックを聴く一方でノイバウテンみたいなノイズ・エクスペリメンタルな音も当たり前に聴いていたし、独逸浪漫主義に想いを馳せる一方でカンディンスキーを、ポートレイト写真家としてのルイス・キャロルを偏愛する一方でフォト・マニュピレーションの極のようなホリー・ワーバートンを・・・。

そんな行為はバブルがはじめるあたりまでの80年代裏面史的な時代の空気の中では自然なことだったのかもしれない。そんな風に手探りで掻き集めたものが、たまたま「ゴシック」という括りの中におさまりがよかっただけなのだ。

現在の日本で流通している「ゴス」は「欧州キリスト教圏の暗黒でろでろな風土性、歴史性、文学的意味性、そして精神性やらのなにやらの束縛から軽やかなほど自由に解き放たれており、その形式性、様式性を謳歌している」と分析してみせるムキもある。その物言いはあたかも「スタイルやフォーマットこそがゴスの本質である」とさえ聞こえる。確かに「そもそもの成り立ちとは無関係に、そして自由な形で受容されてしまう」ことはポップカルチャーの宿命であり、そこに難癖つけて説教する権利なぞ誰にもない。

しかし、圧倒的な違和感を感じざるを得ないのだ。

「強固な美意識と堅牢な精神性の上に展開される自由な形式こそがゴシックの本質なのではないか」と断定する自分は、これほどまでに異なるゴス観をつきつけられると「う~ん、おらあゴスでなくてもいいや」と自ら標榜した筈のレッテルを投げ出したくなったりするのである。

(メモ)軍事費って掛け捨ての保険か?
時々、軍事費ってかけ捨ての保険みたいなものだという意見を見る。

しかし、三日の入院費用の保障しかつかない、かけ捨ての保険に月額10万円を支払おうと思う人はよもやいまい。おまけにこの保険、加入者は自動的に保険会社の連帯保証人になることが強要されるのだ。

要は他国にライフラインを頼っている日本の日米同盟を前提とした国防というのはそういうことなのだ。とどめにこの保険、もう一つ但し書きがある。

・いついかなる場合であれ保険会社の都合を優先する。

そんな保険に何の意味があるというのだ?


なぜ軍拡主義者は腹をくくらないのか?
発作的に銃器関係に興味を持った時期にガンマニアの友人から色々教えてもらいながら調べたことがあった。

「銃に命あずけてます」なんて人はオートマよりはリボルバーの方を信頼するよな・・・とか、
弾をバラまいてトットと逃げることを優先するなら装弾数の多いオートマをとるだろう・・・とか、
オートマチックはある意味たまたま機能しているだけの代物でちゃんと機能させるためには銃を構えるのにも制約があるよな・・・とか、
9パラ以上の弾なんて体型的に日本人がフツーに使いこなせる代物とは思えない・・・とか、
プロ的に銃を使用するなら精密射撃にこだわるより、そこそこの精度で耐久性、メンテナンス性、調達性に優れた機材を選択するだろう・・・とか、
一見プロっぽいコンバットロードなんて逆にプロこそ嫌がるんじゃないか・・・とか、
オートマグなんて体だけデカくて頭の弱いガキのおもちゃだよな・・・とか、
マテバのオートマチック・リボルバーは技術的に面白い代物だよね・・・とか、
マシンガンのオープンボルトのファイアリングサイクルがどうなっているか・・・とか、
トリガーハッピーなプロはありえないよな・・・とか
色々と愚にもつかないやりとりをしたのだ。

その時の一ヶ月ほどのやりとりで得た結論は銃を効果的に運用するということは高性能の銃を投入することではない。必要最小限の適切なリソースを配置すること。そして、作戦行動とは開始した時点でほぼ終わっており、作戦行動の収拾方法が決まっていないとしたら、それは既に失敗である。そして作戦行動が実行される際の兵站が確保できないのなら、その作戦の実行は無意味でありリソースを投入する価値もないということ。そして、その論理構成はスケールを拡張すれば軍事戦略という観点でも有効なんじゃないかと思ったのだ。(*1)

ネットでもよく軍事ヲタ系で無茶苦茶スペックやら技術情報、軍事情報に詳しい論客がいる。しかしいつも不思議なのが、そのスペックをきちんと機能させるためにはどのようなバックアップが必要なのかとか、それを維持するためのコストがどのくらいかかるのかとか、そのスペックによって得られる効果が合目的でなおかつ負担するコストに見合うものなのかということに、恐ろしく無関心なことなのだ。

合目的的なメカニックについては、その目的への好悪感情にはついモザイクをかけて評価してしまう悪癖が自分にもある。だから、他人様のことを悪し様に言うことはできない。しかし、それだけのエネルギーを傾注するのなら個々の技術情報だけでなく運用やら兵站、日本の地勢、経済の有り様を一度真面目に見直してみて欲しいと老婆心ながらつい思ってしまうのだ。国防も所詮は作戦行動の一形態にすぎない。第一波の攻撃を退けたとしても事態を収拾する方法が確立できないのなら、第一波を退けるためだけの軍備は無駄なのだ。

以前、村野瀬様のところでコメントさせていただいたように、自分はきっぱり核攻撃も専守防衛の範囲で論理的には可能だと思っている。9条護持を主張するにも関わらず可能性としてはまったく否定しない。しかし、国際社会から孤立したら生存できない日本の状況を冷静に評価する限り、戦闘を収拾する道筋を見出すことのできない国防にかけるコストは100%無駄だ。だからこそ、米帝に差し出すだけの軍事費は全額を疲弊した地方の再建、農業政策に充てるべきなのだ。そのような政策転換ができないのなら真に強い日本なぞ未来永劫ありえん。そして憂国の士を以って任ずるのなら他国に喧嘩を売るだけの無駄な軍事費なぞ一円も出せませんと自国の意思としてキッパリ言うべきなのだ。

こんなことは本来、へたれ系の自分なんかが説教するべきものではない。軍事に詳しく冷静に状況分析のできる右翼保守論壇の軍拡主義者が冷酷な現状認識から腹くくって提示されるべき結論だと考えている。

(*1)この観点で言えば60年前の15年戦争は負けるべくして負けた戦争以外の何者でもない。安易な兵站思想で南方に送り出された兵士は日本軍司令部によって殺されたものだと断言していい。

効果のないコストは負担できない
イージス艦事故のニュースを見て思ったこと。
いかなる論点であれ本件からイージス艦には問題があり、保有するのは税金の無駄遣いであると結論できる。

イージス艦が民間船を補足できなかったのであれば、そもそも迎撃能力が皆無だということだ。臨戦態勢でなかったから十分な監視体制がしかれてなかったと強弁するのであれば、そもそもルーチンワークではイージス艦は無能力だということだ。平時でもまともに運用されない兵器が有事の際に何の役に立つというのだ?

もし、人為ミスであることを強調するのであれば体制的な問題があるというだ。そうであれば、そちらの方が問題の根は深いと指摘できる。

おまけに弾道ミサイルの迎撃も撃墜率、迎撃ミサイル搭載数を考えてみれば、イージス艦なんて国土防衛のためには何の効果もない玩具だ。しかも、ここ一ヶ月で取り上げたネタは図らずしも陸海空全てに渡って三菱重工がらみ。胡散臭さを感じるのはしかたあるまい。

軍備が必要だと主張する人たちは必要なコストとその費用対効果を証明できるデータを提示したことがあるのだろうか?
よく、今まで日本が戦争に巻き込まれなかったのは9条があったおかげではなく、軍備やら日米関係があったためだと主張する。しかし、そのような事実が存在することを検証した客観的なデータは存在するのか?
軍備の抑止効果を主張する人がいるけれど、その因果関係を証明するデータは存在するのか?無形の心理効果だと主張するのなら、その心理効果を定量化して説明する責任は抑止力を主張する側にこそある。
また、今まで攻撃されないことこそが証明だと主張するかもしれない。しかし、単に無駄なコストを一般市民に負担させていただけでコストに見合う成果が得られていなかったとしても同じ結果となるのだ。軍事的コストに拠ってのみ得られた成果を説明できるのか?

軍備を主張する側はべらぼうなコストを一般市民に負担しろと言っているのだ。見合った成果があったかどうかを説明する義務があるのは当たり前だ。だから成果が検証できないコストは全て無駄なコストだと断定(*1)して構わないのだ。

要は非武装、軽武装を主張する側は対案を提示する必要さえない。
ただ単に、効果のないコストを負担するつもりはないと主張するだけのことだから。

(*1)
誤解のないよう補足しておくが、本文の趣旨は民間企業における基礎研究なども無駄なコストだと主張することではない。基礎研究などは中長期的には十分成果を回収できるコストだと考えている。また、無駄なコストに見える民間企業内の制度でも一定のコンセンサスに基づくものであれば、それは成果として十分評価できるものだといえる。念のため。

バカボン、無駄遣いのしすぎ!
バカボンのやろ~、心神やらCX、PXなぞという高価な玩具に無駄遣いしやがってと思っていたら、今度は戦車ですか?(*1)

あんまり腹が立ってグデグデ文章を練っていたら、眠り猫様のところでポイントを押さえたエントリ「真の国防と外交を考える」が既にあったので、引用する。

<引用開始>

 この場合も、海上と同様、戦車ではなく対艦、対戦車ミサイルを搭載した、小型車両を多数用意すれば良い。移動も配備も高速ででき、運用も簡単でコストははるかに安い。大体、戦車で戦う相手が上陸してきて、日本の国内で戦うならば、相手を撃退しても、国土や人間、財物に重大な損失が出る。それでは国防の意味は無い。

 このように、自民党政権下では、とにかくアメリカの言いなりになって、高価な兵器を買わされて、しかもその過程で商社やメーカー、政治家が利権を吸ってきたのである。真に国防を考えれば、上記のほかに、対艦・対地ミサイルを搭載した攻撃機部隊とヘリコプター部隊、そして、それを護衛する戦闘機部隊が少しいれば十分である。

 ちなみに、アメリカ軍では、海外に攻めていくための装備としては、F-15や、F-18のような高性能戦闘機を使っているが、本土防衛用には、旧世代のF -111戦闘爆撃機などが、今でも現役である。何が何でも高性能で高価な物を、っというのは、そこから利益を得る、利権政治家、官僚の都合なのである。

<引用終了>

う~む、付け加えることがほとんどない。
強いていうなら、エネルギー自給率が0に近い日本が本土防衛のため武装するのはギャグでしかない。自宅に篭城して近所に発砲するようなものだという点くらいである。

皆さん、もとエントリにあたってみてください。ここ数日の眠り猫様のエントリは絶好調っす。

(*1)
新型戦車 20年ぶりモデルチェンジ…試作車公開 防衛省

2月14日9時48分配信 毎日新聞

姿勢制御の様子を披露する陸上自衛隊新型戦車の試作車両=神奈川県相模原市の技術研究本部陸上装備研究所で2008年2月13日午前11時20分、岩下幸一郎撮影
 防衛省は13日、国産新型戦車の試作車を、技術研究本部陸上装備研究所(神奈川県)で報道陣に初公開した。90年導入の90式戦車から20年ぶりのモデルチェンジ。2010年度の配備が予定されている。 

 冷戦の終結で、戦車を主とした戦闘の可能性が大幅に減る中、市街地でのゲリラ・テロ対応などを想定しモデルチェンジした。全長約9.4メートル、全幅約3.2メートルと90式に比べ若干小ぶり。重量も約6トン軽い約44トンで、装甲も状況に応じ、取り換え可能という。運転士はモニター画面を見ながら操縦し、走行中も120ミリ主砲の照準を自動的にセットしたり、他戦車と画面情報を共有する機能もある。最高速度は時速約70キロ。

 防衛省は「多用途に対応し、技術革新も柔軟に取り込むIT戦車」と説明する。総開発経費は約480億円で、三菱重工業が開発を支援した。価格は1台約7億円と見積もられている。【本多健】


心神が外交カードになるという妄想
国産ステルス実験機として開発されている「心神」であるが、初めて公表された画像を見た時、思ったのは「駄目駄目じゃん」という感想であった。

・長く突き出すように伸びた機首部
・機体上面にコブのように突き出たコクピット後部
・大きく段差のあるエアインテーク上面
・複雑な組合せ構成をもつ主翼後縁、垂直尾翼、水平尾翼

気にくわねえところを4つもソクトーできちゃった。
「歳くったガキが無駄遣いなんかするな。」
イチ市民の声である。

機首は現用機の部品を流用しているので今後変更する可能性があるという。しかし、予算やら国産の制御系技術のことを考えるとドラスティックな外形の見直しが行われるとは思えん。おまけに実験機ということなので、レーダー類、ウェポンベイは実装されないという。まあ、平和国家を護持してますという建前だけの言い訳だな。

ちなみに仏蘭西の実験施設を使用したRCSの評価はF22、F35並というが、ウェポンベイやレーダー類の実装を考慮していない仮想競合機種より一回り小さい機体による結果だ。実験機のみの特別な仕様は含まれてないと言うが「これは大本営発表」と解釈するくらいで丁度いいのかもしれん。

過去において大枚はたして国産CCV実験機は作られたが、心神の外形から技術蓄積がまるでできてないことが推察される。
CCVは単に高機動性、高運動性を得るための技術ではない。そのまま放り投げてもまともに飛びやしない格好のひこうきでも思ったように飛ばすためのものだ。格調高く静的安定マージンが負である機体を制御して飛ばすための技術と言い換えてもいいかもしれん。
空力的には非常識でも外形が把握できない、補足されにくいところから策定。最終的に実戦で使えるデザインに落とし込むというアプローチでない限り、十二分に機能を発揮できるステルス的な外形は得られないだろう。公表されているRCS評価時の心神は飛ばせるデザインにステルス的なディティールを加えていったとしか思えない。つまり飛ばすための国産技術の限界がそのまま外形に表れているということだ。このことは国産ステルス技術の将来的な限界も露呈していることを意味する。

また、敵からアクティブ、パッシブ問わず電子的に見えないようにするということは外形やスマートスキンという電波反射技術の問題だけではない。自機のアクティブレーダ及び後方支援とのデータ通信は使わないで、あるいは最小限のやりとりで作戦行動を遂行する必要があるということだ。つまり、戦術面での堅牢なインフラが整備されているのが前提である。しかし、某国は「自衛隊の情報システムはボーイング社が担ってます」なんて広告が堂々と雑誌に掲載されてしまう国だ。そもそも、ステルスを運用する前提条件がクリアされているとはとてもじゃないが言えない。

以上、心神開発は歳くったガキの無駄遣いにすぎないと考える理由だ。

ステルスは決して無敵の技術ではない。確実な情報を入手している軍事目標を攻撃するなど、相手に気付かれないように近づいてタコ殴りにして逃げ帰ってくる目的には最高(ある意味サイテー)の技術である。しかし、防衛目的ではそもそもスクランブルする拠点が敵に知られているため、有効性は半減、技術的な旨味は少ない。正味の話、専守防衛の観点では在来型の高機動迎撃機で十分である。

逆にいえば他国を攻撃、侵略する目的でもない限り不要な技術でもあるということだ。もしステルス対策のレーダー技術開発のための実験機と強弁するのであれば友国との共同訓練でデータ収集を行えば済む話である。無駄で使えない機体開発にわざわざ多額の血税を投入する必要はない。ステルスに固執することは近隣諸国への侵略意図があると疑われても仕方あるまい。

では、自前のステルス技術をちらつかせてF22を購入するための外交カードにすることはできるのか?そもそも、実運用が不可能な実験機程度の基礎技術だけでは外交カードにすらならない。本気でカードを切るのであればレーダーシステムとウェポンベイを実装した状態で設計し運用インフラも含め自前で開発できなければ意味はない。ステルスとはそういうものなのだ。要素技術だけでなんとかなると思っているとしたらボンクラもいいところだ。

つまり心神を外交カードとして使うということはエネルギー支援を要求するために核開発を温存し瀬戸際外交を行う将軍様と同じだ。もし、要素技術を周辺諸国へ技術提供して商売できると考えているとしたら、ますます将軍様っぽいぞ。要は心神を外交カードに使うなんてのは平和ボケした軍事オタクの妄想にすぎないということだ。そんな、無駄な予算を投入するくらいなら農業政策の見直しを行ない、早急に予算をつける。そして食糧自給率を上げることの方がはるかに現実的な安全保障政策だと考える。


「ララ・ファビアン」(国内盤)を見つけた
先日、Book-OFFでララ・ファビアンのアルバム「ララ・ファビアン」(国内盤)を見つけたのでようやく購入。

村野瀬様を筆頭に護憲アマゾネス系のブログでとりあげられていたので、ずっと探していたのだ。しかし、縁がないのか今まで見つからなかったのだ。意外なところで見つかるものである。価格は500円也。

本アルバムは彼女の初の英語詞アルバムで世界デビュー盤。村野瀬様のところで紹介されていた曲が収録されているアルバムではなかったのがちと残念ではあるが・・・。
音楽的にはあちらこちらで紹介されているとおりセリーヌ・ディオン系の女性ボーカルということで当ブログでとり上げる音楽としては珍しく
「誰に紹介しても問題のない」
タイプで
「文句なくいい」
と紹介できる樂曲ばかりである。ネット徘徊時のお供としてヘビーローテーション中っす。

あと、StudioVoice誌の特集「Jazzin'Paris -パリのジャズ物語-」が安価で入手できたので、週末は手許のボリス・ヴィアン作品とセットで読もうと思ってたりする。

方便としてのグローバリズムは過去の遺物にすぎない
備忘のため。

本来、理念としてのグローバリズムは労働力、金融資源を含む全ての資源と受益者がグローバライズされることであって、地球規模でのリスク分散が可能なものなのではないかと考えている。そういった意味では資源の乏しい国家である日本が最終的に目指すべき国際社会像というのは、そのようなグローバリズムを実現した世界であるべきである。

現在、言われているグローバリズムは資源のグローバライズ、受益者のローカライズを極端に推し進めたものであって略奪至上主義というべきものにすぎない。特定の誰か(誰とは言わない、例えば某米帝などとは・・・)が現在の力関係にあかせて世界のあちこちに自分のルールを押し付けてぶったくりをやっているだけであり、その行為は世界大戦前の帝国主義、植民地主義と全く変わらぬものだと断言できる。不条理を押しつけられ疲弊した末端から壊疽していく国際社会はいかなる観点からも生き延びることが不可能である。(*1)

つまり日本が生き延びるためにやるべきことは強固な日米運命共同体の構築なのではなく、全方位外交をラジカルに展開することである。平和的グローバリズムの実現以外のオプションはありえない。

要は頭ン中が60年前からピクリとも動いていない方々に世界が蹂躙されているということだけはキッチリ認識しといた方がいいのかもしれん。

(*1)書いていて気づいたのだが、これは日本国内の国対地方の構図そのものでもある。

地方を恫喝することはないという欺瞞、または国家によるテロル
いささか旧聞に属するが、福田氏の国会答弁を見てたら「国が地方を恫喝するようなことはない」という趣旨のことを言っていた。

うそこけ!

今週末、市長選をむかえる岩国市に関する情報に触れるだけでも、地方交付金を楯に恫喝していることは明白である。言うまでもなく自分は岩国市の選挙民ではないが井原市長を支持するし、井原市長の判断は十分に妥当性があると考える。

このような欺瞞はあちらこちらに見え隠れする。暫定税率撤廃による地方予算がほぼ半分の減額となるとか原子力政策に伴う補助金制度とか・・・。

このように虚偽の情報を以って、当事者たる市民に国からの予算削減により日々の生活が脅かされるという恐怖感を煽り、一部の人間(あえて国とは言わない)の意図するところに誘導しようとする行為。それは国家の国民に対するテロリズムだ。

日本国民にとってテロとの戦いとは遠い国の民間人を殺戮することに手を貸すことではない。与党政権を下野させるための戦いこそがそれではないかと思う今日このごろである。

自分が外国人投資家なら今ぜったいに日本株を買わない理由
日本株が下がり続けているが、これについてサブプライム問題が原因とか色々言われている。しかし本質的な原因はそんなところにないんじゃないかと思うようになってきた。

よく日本市場が閉鎖的だという議論もあるが、それだけでは急激に日本株が売られた理由の説明には不十分だと思う。なぜなら、そんな デメリットがあるにも関わらず近年でも日本株は買われてきたのだ。今さら、それを理由にするのもおかしい。

また、ねじれ国会により予算案や法案が通らないことを理由にするムキもあるが、単に暫定税率と予算案を別枠で提出すれば済む話だ。おまけに議会における議論の対立は自明のことだ。それを収拾できないのは単なる愚か者の集団である。もし、それを言うのなら与党は自分たちが愚か者であることを認めたということである。

しかし、自分が外国人投資家で日本の政治状況をウォッチしている人間だとしたら、今後10年間は手を出さない。現在の日本企業の競争力の有無、商品価値は一切関係ない。その理由は以下である。

①政府の経済政策の方針がメリット,デメリットこみで正しく公表されない。
②マニフェストにより示される経済政策が実施される保証がない。
③提出される法案が一貫したポリシーを持たない。また説明されない。

単にそれだけのことだ。これからの日本経済を予想する信頼するに足るデータがないのに、なぜそんなところに投資をできるのだ?
もし、それでも投資できるとしたらインサイダー取引のできる位置にいる投資家だけだと考える。

*

ちなみに「ファンド嫌いでは国際社会では通用しない」みたいなことを、また竹中氏がほざいている。私見では市場の自由化自体は必ずしも悪いことではない。理念としてのグローバリズムが確立していればの話だ。そんな理想的な状況は現在存在しない、一部の国家の論理が罷り通る歪んだグローバリズムだけが支配する今日、国民のライフラインまで海外投資家にまで売却するのは危険きわまりない話である。そのリスクを考慮すれば、それなりの制限は当然必要だ。言うまでもない、郵貯のことである。

役に立つかはわからんが趣旨理解の上、勝手に転載します。

村野瀬様のところでとりあげられていたメッセージです。勝手に転載します。

Subject: 岩国市の民主主義を守るために「30分の時間カンパ」!

皆さん 重複をお許し下さい。
広島の「岡本非暴力平和研究所」所長の岡本三夫です。

岩国市のことで非常に大事なお願いがあります。
ちょっと長い文章ですが辛抱して読んでください

「誰の心の中にも反骨心はある。自立心がある。矜持がある。
その葛藤に悩みながら人はバランスを保って生きるのではないか」
 (2月1日付 天木直人ブログより)。

岩国市長だった井原勝介さんは、まさにそういうお人です。
悩みながら岩国市民にとって「何がベストか」を真剣に模索しながら市政に全力投球してきた政治家です。

井原さんは、元中央省庁の高級官僚(在タイ日本大使館一等書記官・労働省課長ほか)であり、一地方都市の市長にすぎません。
決して「反基地闘争」の活動家などではありません。
 
米軍基地にもむやみやたらに反対してきたわけではなく、現に沖縄・普天間基地の空中給油・輸送機部隊を岩国基地へ移駐することにも同意しています。

政府からの要請に対する妥協でした。新市庁舎建設のためには、そう妥協することが市民のためになると判断したのです。
 
また、沖合の新滑走路を用いて試験飛行を行ない改めて騒音を測定すること。NLP(夜間飛行離着陸)の恒久的基地の明確化、海上自衛隊の残留などの条件を国に提示するなど、悩みながら岩国市民にとって「何が最善か」を真剣に模索しながら、市政に全力投球してきたのです。

ですから、反基地闘争の人達は、100%井原さんを支持してきたわけではありません。

しかし 米軍再編への全面的かつ積極的協力を露骨なまでに打ち出した「中央政府」のごり押しに対しては、「地方政府」の首長として断固たる態度に出ました。

米軍再編に伴う計画に沿って、厚木基地から岩国へ米軍の空母艦載機を大量に移転するという暴挙に反対を表明したのです。

市民のいのちと安全と財産を預かる市長としては、当然の行動でした。
隣接する広島市民もその多くが岩国米軍基地強化には大反対です。

ですから井原さんの「市民のための市政」という首尾一貫した政治姿勢は大半の岩国市民の支持を受け、住民投票でも市長選挙でも市民の圧倒的な支持を獲得したのは当然でした。

井原さんは「地方自治の本旨に基いて(憲法92条)」まことに誠実な対応をしてきたのです。

しかし今、井原さんは最大の危機に直面しています。
市議会議員・建設業者に関連する会社社長など「目先の利益に目がくらんだ人たち」は、井原さんが再選されると「夕張市のようになる」・「税金が高くなる」「バスがなくなる」・「病院がつぶれる」などと、根も葉もないウソとデマで市民を誘導し井原さんの落選を狙っているのです。

岩国市民を馬鹿にするにもほどがあります。

大きな米軍基地を抱えた地方都市は沖縄もその1つですが、韓国でもドイツでも軒並み米軍兵士による犯罪が増え、子どもたちは安心して学校に通えず、若い女性は街を一人歩きできず、大企業の地方支店は逃げ出し、経済が停滞し街全体が荒廃します。

沖縄では1995年に、小学生が3人の米軍兵士にレイプされました!

井原さんは岩国市がそういうことにならず、市民が安心して生活できることを心より願って、岩国という小さな地方都市を「人身御供」に米軍に捧げようとする卑屈な「中央政府」の方針に反対し、米政府の言いなりになってゴリ押しする日本政府と文字通り「身体を張って」闘っているのです。

どうか民主主義を守る、この天下分け目の一大決戦に「30分の時間カンパ」をしてください。そうすることによって井原さんを支援してください。パソコンの前で30分間の「時間カンパ」をしてください。

全国規模では、さらにグローバルな規模で、できるだけ多くの知人・友人に岩国市長選挙への応援を訴えて欲しいのです。いろんな形の支援があります。

インターネットで検索してください。岩国市の現状を多くの日本人・外国人に訴えてください。時間のない方はこのメールを知人・友人に転送だけでも結構です。

1人でも多くの人に伝えてください。これは民主主義を守る戦いなのです。
「おカネのある人はおカネを。時間のある人は時間を。知恵のある人は知恵を。何もない人は熱気を!」(市民運動の原点)。井原さんにお寄せ下さい。


以下のようなカンパの窓口もあります。「岩国新市庁舎を勝手に支援する会」
郵便振替 00130-9-583982

インターネットによって市民が結ばれ、連帯できる時代であり、このような好条件があるのに、岩国は遠いからなどの理由で座視傍観し、この一大決戦に破れたら岩国ではなく日本の恥じであり、世界の笑いものになります 

しかし、私たち草の根の市民派の勝利は歴史的な意味を持っています。

「日本の民主主義もここまで育ったか」と賞賛され、日本市民の政治的健全さへの評価が確立することに繋がります。
それは類似の問題に悩む、沖縄や横須賀市での反基地市民運動や六ヶ所村での市民運動にとっては素晴らしい勝利のシンボルとなり、さらに独裁と専制のもとで苦しんでいる多くの世界市民にとって、どれほど大きな励みになるか計り知れません。 

(本来なら 「決戦」ほかの軍事用語は避けるべきですが「分かりやすさ」のために今回はあえて使いましたことをお許し下さい)

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 岡本非暴力平和研究所所長
  〒730-0051 広島市中区大手町1-1-26
  大手町1番ビル305
   電話・ファクス番号 082-209-0633
    okamoto-mit@nifty.com
   http://okamotomitsuo.com/

 「平和を望むなら 平和に備えよ」 Si vis pacem para pacem.

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(転載終了)
なんで歳出の見直し論議にならないんだろう?

素朴に思うのだが、なんで歳出の見直し論議にならないんだろう?

そもそも民主党は代替財源を示す必要などないのだ。歳出の妥当性を検証し歳入の枠内に収まるよう提言していけばいいだけなのだ。わざわざ、自民党と同じレベルまで下る必要はないと思うぞ・・・。(*1)

ちなみに村野瀬様のところで紹介されていたluxemburg様の「あなたの暮らしがラクにならない理由」が具体的な数字を挙げて道路政策の無駄遣いについて論考されています。お薦め!

(*1)
代替財源の明示求める=暫定税率撤廃で民主有志

2月1日15時1分配信 時事通信

 民主党会派に所属する参院議員有志9人が1日、参院議員会館に同党の直嶋正行政調会長を訪ね、同党が掲げる揮発油(ガソリン)税などの暫定税率撤廃について、国と地方の歳入欠陥を補うための代替財源を明示するよう求める質問書を提出した。
 質問書は「暫定税率の廃止に伴い、国と地方合わせて約2兆6000億円もの歳入欠陥が発生する。党が提示している(国の直轄事業の地方負担廃止などの)代替財源は納得できない」と強調。「説得力ある財源を明示しなければ責任ある対応とは言えない」と厳しく指摘している。 

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