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AmlethMachina's Headoverheels
ゴシック・ノワールを標榜するAmlethMachinaによる音楽を中心にした備忘録。
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クロウという名の死者の書
主役のブランドン・リーが撮影中の事故で死んだことでも記憶される映画「クロウー飛翔伝説ー」を知っておられるだろうか?

「ダークシティ」のアレックス・プロヤスが監督しておる点、キュアーやらナイン・インチ・ネイルズがサントラに参加しておるという点でもゴシック・ノアールな雰囲気をプンスカさせた映像に仕上がっていたことはゆーまでもない。ヘンにつじつま合わせ的・・・とゆーか説明的な感じがあったのが残念であった。しかし幻想系というよりはオルタナっぽい感覚が横溢する、ロバート・スミスみたいなカルトヒーローが活躍するダークヒーロー映画というだけでも十分魅力的だったのだ。

しかし、ここで言いたいのはこの映画ではない。ジェイムズ・オバーによる原作コミックの方である。

実は映画においてキュアーやらジョイ・ディヴィジョンやらの楽曲をセレクトしたセンスというものが監督のものだと思い込んでいた。しかしキネ旬社から邦訳が出ているこのコミックを読んで吃驚したのだ。

まず、この物語がコンクリートジャングルな都市の中で緩慢な死を迎える死者の物語であること。死に行く病んだ魂の彷徨なのだ。とてもじゃないが復讐のために蘇ったダークヒーローの物語とは読めなかった。(*1)

そして、キュアーの””hanging garden”、ジョイ・ディヴィジョンの”decade””komakine”の引用、アルトウール・ランボーからの引用が幕間毎になされており、これが緩慢な死を迎えようとする魂のモノローグとして効果的に機能しておったのだ。

確かに絵柄はとてもこなれておらず、どちらかと言えば雑な部類かもしれない。スクリプトも読者を意識して組み立ているような読み易さは微塵も感じられない。しかし、そんな技術的な出来不出来は瑣末なことなのだ。

はっきり言おう。
視覚化されたゴシックロックそのものを読んでしまった。
それが自分にとっての「クロウ」だ。

理解してくれとは言わない。この物語はただ胸が痛いのだ・・・。


(*1)この構成、ジム・ジャームッシュの「デッドマン」と共通するものを感じてしかたない。もし、ジェイムズ・オバーによる「クロウ」の方を「デッドマン」より先に読んでいたら、素直に「デッドマン」に惑溺しなかったかもしれん。

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