AmlethMachina's Headoverheels
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(メモ)死刑存置にまつわる2、3の事柄

死刑存置にまつわる議論は敢えて論点をずらし続けているように見える。

「凶悪犯罪者」と「法律を守ってこの国に住まわせてもらっている善良な私」の対立という物語によって死刑の正当性は維持され続けていると言っていい。本質論にたどり着かない原因はまさにこの一点にある。いかなる人間であろうと人権はある。前提はそれだけでいい。

死刑にまつわる議論の本質を注意深く腑分けしていくと、「不可侵であるはずの人権を合法的に侵害すること」を運用の厳格化で認めることができるかどうかということだ。要は「死刑は敢えて選ぶ選択肢」なのだ。本来「選んではいけない選択肢」だ。だから、死刑を運用する上での整合性、実効性を証明する義務は、死刑を敢えて選ぶ側にこそある、言うまでもない。

つまり「死刑廃止論」という概念は虚妄だ。死刑のない世界が自然状態なのだ。間違ってはいけない。あるのは「死刑存置論」だけなのだ。

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コメント
この記事へのコメント
目から鱗
>死刑のない世界が自然状態なのだ。

そうか、そうだったのか~
2008/03/22(土) 01:12:45 | URL | 村野瀬玲奈 #6fyJxoAE[ 編集]
>村野瀬様
なんか、最近のニュースを見ていて「死刑があるのが当たり前」という意識が見え隠れするのが「気持ち悪かった」というのが本エントリの動機です。

そもそも「死刑が近代国家において当たり前か?」と思って、一番しっくりくるところを探ってみたら予想外のところに出てしまったというのが本音です。

自然権である人権を認める限り、「死刑は絶対にありえない選択肢」であり「ないのが自然だ」と結論します。

逆に「死刑を許容できる論理」を認めることは「国家に殺されることを許容せざるをえない」ということです。現状は無意識のうちに自然権である人権を自主規制しているということなのです。

余談です。
うろ覚えで申し訳ないのですが雑誌「QuickJAPAN」の集中連載で藤原ヒロシ(だったかな?)が「憲法改正で軍備を認めること」は「殺人を禁止している法体系において、正当防衛が認められているのは矛盾している。だから合法的に人を殺すことができる要件を整備しろ」と主張するようなものだということを書いておりました。

考えさせられる視点だと思っています。
2008/03/22(土) 02:40:26 | URL | AmlethMachina #-[ 編集]
ん~
ん~、
話としてはわからないでもないですが、
本質的に自然な状態って事だと、実は無法状態ってのが一番自然な状態なんじゃないかって気がする。

人権も法も人間原理によるモノというか、人間が人間の為に、作り出したというか、見つけ出したモノという感じがするので、本質や根源と言ってしまうには俺は躊躇しますね。

ただ、『まず人がいるから国がある』ってのは基本中の基本なので、住まわせてもらってるから云々とかには当然首肯しません。
国にとって国民はスポンサーというか株主みたいなものだから当然『人>国』となるし、
元々国の本質ってのは『人対人における問題の為の調整機関』『日々の生活における利便性の為の共同体』であって、人が利用する為にあるもの、要するにツールなわけで、
国の方が主体的になって人を利用しようとするならそれはもう本末転倒になると思います。
また人権は自然権であり、誰のものでも認めなきゃだめだし誰のものでも守らなきゃいけないものであるってのもまた俺の思うところと同じくしています。

ですが死刑のない状態を自然状態と定義してしまうのにはちょっと疑問を感じます。
あくまで人が作った法という『モノ』として死刑を捉えて廃止及び停止を論理として確立し展開していく事が本筋だと俺は思います。

死刑のない状態をいわゆる『そもそも論』的に自然な状態だとしてしまうのは論理として多少というかかなり強引な気が…。
そもそも論を進めていけば、そもそも法も世界も人間の為に人間が作り出し、見つけ出した『モノ』となる気がするので。

俺も死刑廃止には賛成なんですけどね。
(^^;
2008/03/22(土) 02:48:18 | URL | た~ん #-[ 編集]
>た~ん様
ご指摘のとおり、確かに「死刑のない世界を自然状態」と定義した点は要修正かもしれません。

こう言った方がよかったのかもしれません。「自然権である人権を認める限り、死刑が存在しないのが一番論理的に整合する。」

でも、イマイチ自分の中でしっくりと来ません。すみません。もう少し精進します。

2008/03/22(土) 03:45:20 | URL | AmlethMachina #-[ 編集]
そうだなぁ
このエントリの話からはちょっと外れると思いますが書いておこうと思います。
すみません
m(_ _)m


俺が死刑廃止に賛成する理由ってのはごく単純で、
「自分は無実の人を殺したくない」
って事なんですよね。

だから要点としては、
「冤罪可能性」と「回復不能である刑罰」という二点になるわけです。


で、死刑っていう刑罰は国が刑務官に殺させるわけですが、その国の主権者は国民である自分でもあるので、
要するに、
「自分が殺しているのと同じ事だ」
と俺は認識しています。
国が勝手にやってくれてるとかそういう事ではないんですよね。あくまで自分達の代理として執行しているわけですから。

もちろん自ら手を下しているわけではないので実感とかは湧かないわけですが、
国民一人一人が死刑によって殺した、『人一人の人間の重み』を背負わなきゃいけないんだと思っています。
一億数千万分の一ずつではあるけど、国民全員老若男女問わず一人一人が背負っていくべきものなんじゃないかと思っています。
その重みとか責任を背負うってのが、国民主権て事なんじゃないかと。


また、もう一つの方向性として感情的方面から、
罪人だろうがなんだろうがもう単純に
「殺したくない」
とか、

また、
「殺しゃあいいってもんじゃないだろう。色々考えさせて反省させるなり後悔させるなりする事だって必要ちゃうのかな?」
みたいな事も思ったりするわけで、
これはもうほんとにただ単純に感情の問題と言えます。
なのでこちらはあまり論理的ではないですが…。

と、まぁ俺のスタンスはこんな感じです。

まだまだ俺も自分の中で思考を整理中です。

まぁ、ゆるりと進めていければいいかなぁと暢気に構えてますが。
(^^;
2008/03/23(日) 00:00:44 | URL | た~ん #-[ 編集]
>た~ん様(2)
試論のつもりで書いたエントリだったのですが、「説明不足、あるいは前後の論理展開について不十分かな」と思っていた部分をた~ん様に思いっきり突っ込まれてしまい、ちょっとうろを出してしまいました。

「死刑のない世界が自然状態」という表現は、自分の中では純粋論理だったつもりですが解釈の余地が多い点で論理展開が不十分でした。

指摘された後、色々考えてみました。結論から言うと、もう少し厳密に展開する余地のある部分なので別エントリで再考を加えようと思います。

遅れましたが、いつもコメントありがとうございます。
2008/03/23(日) 00:57:52 | URL | AmlethMachina #-[ 編集]
まあそれ以前に「人間の感情と現実の治安を無視した屁理屈」としか映らないと思いますよ。死刑に賛成している8割の国民にとっては。
2008/03/24(月) 01:56:42 | URL | 通りすがり #-[ 編集]
はじめまして。
確かにた~んさんのご指摘のとおり、死刑のない状態を「自然状態」という言葉で言い切ってしまうのは、いろいろ具合が悪いかと思います。存置論の側が死刑のある状態を「自然状態」と言い張るのに対して、カウンター措置としてのみ有効な議論なのかも知れません。

ただ、それでもブログ主さんの考え方、僕はすっごく面白いです。今後自分の「廃止論」を突き詰めていくにあたって、ヒントにさせていただきます。ありがとうございました。
2008/03/25(火) 21:40:17 | URL | レイランダー #7WA6FNh.[ 編集]
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