AmlethMachina's Headoverheels
ゴシック・ノワールを標榜するAmlethMachinaによる音楽を中心にした備忘録。
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正気の国家にF22はいらない
最近、航空関連専門誌でF22がとりあげられているのを見て、導入による危険性を気にしていないようなのがミョーに気になった。自分の思い過ごしかもしれないが、整理してみたい。

日本の次期主力戦闘機として上がっているF22だが、どんな機体か知っておられるだろうか?

超音速巡航、ステルス性、高機動性といった想定される最高水準のスペックを詰め込んだ機体で、現存する機体で対抗できる機体はほとんどないと自分は考えている。強いて言えば近接格闘戦においてのみ悶絶起動血戦兵器なSu37がなんとかなるかも知れない・・・というところだろう。しかし、そもそもそのようなシチュエーションはありえないだろう。スペックマニアの弄ぶおもちゃとしては最高級な超合金仕様である、一見いいこどずくめの機体だ。

きっぱり、F22は嫌いである。

ウェポンベイを内蔵したステルス性重視のデザインが不細工だからということもある。ほとんど全翼に近い主翼形状は主翼自体を可動翼として制御して高機動性を確保してるんじゃないかと見ている。しかし、そんな審美的な理由はどーでもいい。

何より自分がこの機体がだっ嫌いなのは、その開発コンセプトである。米国国防省のお偉いさんが開発時に言ったとされる「我々はF22でフェアな戦いをするつもりはない」。腐りきった素性に生まれてきた。要はそういう機体なのである。
相手に気づかれないように近づいて相手の気づかないうちにとっととミサイルを撃って、逃げるための技術の塊なのだ。どう考えても相手を殺すことを目的とした機体以外の何者でもない。余談であるが同じ理由でA10サンダーボルトもだっ嫌いである。

ここでちょっと考えてほしいのは、建前でも平和憲法護持している日本にそういう機体が必要か?

まず専守防衛が目的であればステルス性は不要であろう。侵入機を威嚇するのに忍び寄る必要なんてない。むしろ平和国家であれば問答無用の攻撃ではなく威嚇からというのが作法であろう。よくならず者国家から攻撃された時のために警察的な力が必要だろうという仮定をするものがいるが、それを認めた上でさえ威嚇もせず攻撃し撃墜可能な武器は不要だ。そもそも制圧能力が高いからといって警察官に南部ではなくクルツを持たせるべきだなんて言うのはよほどのガイキチかマニアだけだろう。(あ、同義反復)
またF22でないと対抗できないような腰を据えた戦力による侵略を想定した場合、食料自給率が50%も満たない日本は1週間もまともに戦えないだろう。そういった点から見てもこんな機体に税金をつぎ込むのは現実的ではない。
F22を所有することは単に近隣諸国に「日本が他国を攻撃可能だ」というメッセージを発信することと同義だ。そして、それは平和国家としての建前もかなぐり捨てるということだ。

おまけにステルス性、高機動性をバックアップするためのシステムのインフラはガッチリ米国が握るだろうし、自分なら日本に対して提供するシステムには絶対にバックドアを作りこむ。マイクロソフト社がOSにバックドアを作りこんでいるように。

F22は設計上、単独で運用可能な代物とはとても思えないのだ。F22を手に入れるということは日本は米国と運命共同体、あるいは属州になるという覚悟が必要なのだ。そこまで米国にべったりしてどうする?

もし、どうしても主力戦闘機を選定するならヨーロッパで共同開発されたタイフーンとか仏のラファールあたりが運用上の小回りも利いてなおかつ日米運命共同体の危険性の少ない。そんな機体を選ぶのもアリなんじゃないだろうか?個人的にはフランカー系列が好きだが、自分の趣味はどうでもいいか・・・。

以上が自分のF22導入に対する見解である。まともな知性を持った正気の民主国家であればF22は必要ないと言うべきである。はっきり、F22はならず者国家にのみふさわしい機体なのだ。

P.S.

ついでに平和憲法についての見解もメモしておく。
日本が憲法9条を改正した場合、米国は日本に対するオプションが2つ増えると考えている。一つは今後の米国によるテロ活動への資金負担と人的、その他のリソース提供を日本に行わせることが可能になるということ。そして、もうひとつは郵政民営化後、米国による金融搾取が完了すれば後腐れなく「テロ支援国家」認定していくらでも始末ができるということ。いや、動機などどうでもいい。今後、攻撃するためにいくらでも口実をつけられるということだ、アラブ諸国がそうであったように。
同時に、日本は国際社会における有形無形のアドバンテージを全て失うと考えていいだろう。真に丸裸にされるということなのだ。
パラノイア的かもしれないが、可能なオプションは考慮しておくべきだろう。
自称現実主義者とは真逆の結論かもしれない。しかし自分はそのように考えている。


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