AmlethMachina's Headoverheels
ゴシック・ノワールを標榜するAmlethMachinaによる音楽を中心にした備忘録。
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香水の話
週末にようやく、公開当時に時間が合わなくて観れなかった映画「パーフューム-ある人殺しの物語-」と「レミーのおいしいレストラン」を観る。

まず、「パーフューム-ある人殺しの物語-」である。

パトリック・ジェーキントによる原作小説「香水ーある殺人者の物語ー」が翻訳された当時に手にしたのだが、これが結構面白かったのだ。自身は体臭を全く持たないが超人的な嗅覚の持ち主であるグリュヌイユが、街角で出会った少女の体臭を永遠に閉じ込めるため調香師となる。しかし、その香りを手に入れるために・・・という物語だ。まるでほら吹き男爵の嘯くほら話のような奇想譚ともいうべき世界が展開され、クライマックスの聖人伝のパロディのような展開にいたっては暗い笑いのような感覚さえ覚えたのだ。

さて、その小説の映画化である。

いや~、いい線まで映像化していると思う。冒頭の腐った魚の悪臭漂う巴里の下町の再現といい、グリュヌイユの嗅覚が追いかける対象をカットバックすることで臭いの感覚の映像化にある程度までは成功していると思う。おまけにコスチュームも恐ろしく汚い貧困層から富裕層のこ洒落た香水の臭いがぷんぷん漂ってきそうな格好まで、よく出来ており観ていて楽しい。おまけにクライマックスの刑場のシーンからラストの天使降臨のシーンまで、小説の馬鹿馬鹿しい部分まできちんと映像化しておりグーである。

惜しむらくは小説の地の文を使用したナレーションであんなこと、こんなことを説明しちゃっているので、監督の解釈とかそんなものが入り込む余地が意外となかったのが残念といえば残念。古いドラマトウルギーに従ったのかなという気もする。また嗅覚という生理的な感覚を視覚映像に置き換える行為には当然困難がつきまとうことは理解しているつもりなのだが、表現にもう一声欲しかった・・・というのが正直な感想である。

ちなみにこの映画、小説ほどグリュヌイユというキャラクターを突き放して対象化していないような気がする。そのため、単に少女の記憶としての体臭へのフェティッシュな拘りが物語を駆動するのではなく、体臭を一切もたないために誰からもその存在を認知されない希薄な個であるグリュヌイユが、自分を世界に認知させるために無駄な足掻きをし絶望していく姿への同情の方が若干勝っているかなと思ってしまった。

そこで、思い出したのがバリントン・J・ベイリーのSF小説「カエアンの聖衣」。知ってる人は知ってるワイド・スクリーン・バロックの傑作である。この小説の主人公も無個性な存在で、「衣装は人なり」という哲学を持つ惑星カエアンで作られた聖衣に支配され超人的な能力を駆使して奇想天外な物語を展開するのだ。こういった観点で観ると色々バリエーションが出来そうだぞ。

無個性故に超人的な演技力を発揮してカリスマ俳優となるが、結局自分が希薄な個であることに気がついて絶望してしまう俳優。あるいは何も主義主張も個性すらもないが超人的なノリと空気を読む力でカリスマ的に政局を動かすが、結局自分が操り人形であることに気がついて政界から隠居してしまう物語・・・アレ?


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