AmlethMachina's Headoverheels
ゴシック・ノワールを標榜するAmlethMachinaによる音楽を中心にした備忘録。
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憲法を遵守しない政府をなんとかするのが先だろう

なんか党派を超えた改憲の動きがあるみたいだけど・・・。

「押し付け憲法だから」とか「現状に合わなくなっている」とか「他国では頻繁に改正されている」とか、また色々難癖つけて改憲したい連中がいるようだ。

しかし、そもそも現憲法で何か不都合が起きているのか?

国民的には現憲法で問題はないし、むしろ憲法を遵守しない政府による不利益を国民が蒙っているのが実状だ。つまり現時点で積極的に改憲すべき合理的な理由はない。改憲を云々する以前に憲法の下にきちんと機能する政府に修正することこそが本筋であろう。だから、改憲のためにどうのとか言って、そんな無駄なことにリソースを遣わないでほしいのだ。

そんな暇があったらまず手をつけるべきことは他に山ほどあるだろうが?

次は大人で現実的なあなたの番なのだ。

年金制度の問題、教育制度の問題、医療現場の崩壊、憲法改正なんかの話をすると、よく「そんなこと今議論してもしょうがないじゃん。生活の中でどうするかの方が現実的じゃん。」と言われたりする。「そんなことより普段から老後のために貯金を・・・」「公立は駄目だから私立に行かないと・・・」などという意見もとりあえずはもっともだ。

一見、大人で現実的な反応だ。

しかし、これらの問題に他人事を決め込み、ほっておくと個人レベルの対策ではとてもじゃないがおっつかない状況が出来することを認識しているのだろうか?
そこかしこにその兆候があるというのに。今すぐにでも国政が手を打たなければいけない問題が山積しているのに・・・。

例えば、夕張市の問題に「市民がちゃんと監視してなかったことが原因じゃないか」と今さら自己責任論をぶつ人がいる。(*1)しかし、当事者は皆ずっと「そんなこと今議論してもしょうがないじゃん。生活の中でどうするかの方が現実的じゃん。」と思ってきたはずだ。もちろん、お役人が無謬であることを信じていた人もいたのかもしれない。しかし、事実はそうじゃない。大人な対応は最悪の意思表示で、お役人は無謬でさえなく大本営発表を垂れ流し、おまけに悪意すらあったのだ。

これが意味するところは明白であり、過去の教訓を活かせないのはただの愚か者である。要は大人で現実的な態度を決め込む限り、今のままでは破滅的な状況に陥るということだ。その挙句、訳知り顔の連中からこのように言われるのだ。「国民がちゃんと監視してなかったことが原因じゃないか」と・・・。

そう、次はあなたの番なのだ。

(*1)米帝にノコノコつきあって日本が没落する羽目になったら、ウヨの皆さんは「危ない米帝についていった日本が悪い」と発言してくれるのだろうか?
「危険な米兵についていった方が悪い」と主張したように。

税金の無駄だからあんたらはいなくてもいいよ
自分はSEやらサーバのインフラ構築、CTI環境の構築、ミドルウェアから業務アプリケーションの開発といったお仕事をやっておる。

当然のことながら、システムというのはハコものとして納品するモノだけだなんてことはなく、お客さんの運用方法、研修で徹底されるルール、業務プロセスも含めてのモノだったりする。

経験上、お客さんと顔を突き合わせて要件定義をやっていると、実はお客さんの要件や問題意識のポイントは運用ルールを見直したり、帳票のハンコを減らして流れる業務プロセスを整理した方が対策として効果が一番大きかったりする。でもって、本当に運用ルールの見直しやらだけではカバーできない要所にだけハコを適用するというやり方が効果的だし、カスタマイズが限定できる分だけ不良の作り込みが少なく品質も安定したりする。機能要求を我慢してもらって運用で頑張ってもらった方が実は業務全体として整合する場合だってある。

お客さんの方に新システム導入のどさくさに紛れて運用ルールの見直し、改善を滑り込ませるような賢い人がいると、プロジェクトはスムースだし業務の安定稼動が見込めたりする。ところが頑迷にも現在の運用ルールやら業務手順をそっくりそのまま新システムで構成しようとする人が主導権を握ると、大抵の場合、ハコとしても安定しないし、なにより業務効率やらなにやらの改善といった観点でもほとんど効果が上がらなかったりして、おまけにシステム導入に伴う研修にも無駄な工数をかけた挙句ほとんど使われない機能が枯れずにあちらこちらに残存することになり、忘れた頃に業務を停止させるような障害が発生したりするのだ。

なんで、こんな話をしたかというと医療施設のハコものの導入に膨大な投資をした挙句,運用できる人材がいないため手付かずのままほったらかしになっているという話を読んだからだ。住基ネットやら社保庁の件やらあれやこれやもある。要は本来すべきことは別にあるのになぜかハコものの導入の方が優先された事例が多過ぎるということなのだ。

3流SEでも、システムの要件分析をやる時に真っ先にやるべきことはお客さんがこーゆーこと、あーゆーことができたらいいな、あんなもの、こんなものがほしいと言っている局面で、何が本当の問題なのかをヒアリングすることだったりする。要求されているものを機能提供しなくても、業務のやり方を見直すだけでお客さんの問題としていることを解消することは可能だったりするのだ。ここでポイントを掬い上げることができるとシステムを構築しなくても済む部分は意外とある。そして一方でハコを導入することによる効果を最大化する方式が整理できたりするのだ。でもって、このような考え方は日常のいかなる局面でも適用可能だし、似たような分析は多かれ少なかれ皆やっていることだ。

ところがなぜか、政治の世界ではこーした議論はキチンと行われない。最近の暫定税率の議論、社会保障のための消費税増税論議、医療制度の問題然り。要は何が問題なのか分析できているようには見えないし、あっちで道路が欲しい、こっちで地方財政の補助が欲しいと言うのに対し、本当は何をすればそーゆー声がなくなるのかヒアリングできているとも思えない。歳入の問題もセットで通そうとしているが、セットにすることにより全体の整合が担保されているかと言えば、もちろんそういうことはない。そのように考えてみると単にマシのレベルではあるが、まだ民主党のマニフェストや質疑の方が傾聴に値する。

解決どころか問題分析の能力があるのかさえ疑問視したくなる与党政権の現状ということだ。過去においても山積する問題に対して解決し状況を改善したという実績はないし、また今後も期待すべくもない。現状に対してなす術もなく追認するだけであればブチ高い金を国民からふんだくっているにも関わらず、その職責をまっとうすべく努力しているとはいえないし、責任不履行だと言ってもいい。つまり、いてもいなくても同じということなのだ。だから「税金の無駄だから自民党のあんたらはいなくてもいいよ」というのが自分の本音だったりするのだ。

いや、いてもらっては困るのだ。


あなたはやくざに混じって人を殺したいのか

まるで自衛隊に「死ね」と言わんばかりの憲法の制約。自衛隊員を無駄死にさせてはならない。だから憲法を改正すべきだ。あるいは法解釈で集団的自衛権やら交戦権も認めるべきだと言う。

不本意であるが軍事力の行使は論理上存置されていると考えている。専守防衛の平和国家を護持しようと十分以上の機能は保障されている。
要は国家としての正当防衛の機能まで憲法は否定はしていない。

しかも世界で有数の軍事予算を投入した自衛隊だ。装備が不十分で指揮系統が駄目駄目なのは憲法の問題なんかじゃあない。単に予算の使い方と自衛隊員の命をこれっぽちも考えない愚か者による政策、意思決定が間違っているだけの話だ、以上。

しかし、それでも不十分だ。自衛隊員を見殺しにする気かと言う。
よろしい。現在の改憲論者の主張していることを平たく言うとこういうことだ。

やくざの喧嘩出入りに付き合うから、一緒に人をぶち殺させてくれ。

誰もやくざの喧嘩出入りにまで首をつっこんでくれなんて言っていないのだが・・・。


なぜ軍拡主義者は腹をくくらないのか?
発作的に銃器関係に興味を持った時期にガンマニアの友人から色々教えてもらいながら調べたことがあった。

「銃に命あずけてます」なんて人はオートマよりはリボルバーの方を信頼するよな・・・とか、
弾をバラまいてトットと逃げることを優先するなら装弾数の多いオートマをとるだろう・・・とか、
オートマチックはある意味たまたま機能しているだけの代物でちゃんと機能させるためには銃を構えるのにも制約があるよな・・・とか、
9パラ以上の弾なんて体型的に日本人がフツーに使いこなせる代物とは思えない・・・とか、
プロ的に銃を使用するなら精密射撃にこだわるより、そこそこの精度で耐久性、メンテナンス性、調達性に優れた機材を選択するだろう・・・とか、
一見プロっぽいコンバットロードなんて逆にプロこそ嫌がるんじゃないか・・・とか、
オートマグなんて体だけデカくて頭の弱いガキのおもちゃだよな・・・とか、
マテバのオートマチック・リボルバーは技術的に面白い代物だよね・・・とか、
マシンガンのオープンボルトのファイアリングサイクルがどうなっているか・・・とか、
トリガーハッピーなプロはありえないよな・・・とか
色々と愚にもつかないやりとりをしたのだ。

その時の一ヶ月ほどのやりとりで得た結論は銃を効果的に運用するということは高性能の銃を投入することではない。必要最小限の適切なリソースを配置すること。そして、作戦行動とは開始した時点でほぼ終わっており、作戦行動の収拾方法が決まっていないとしたら、それは既に失敗である。そして作戦行動が実行される際の兵站が確保できないのなら、その作戦の実行は無意味でありリソースを投入する価値もないということ。そして、その論理構成はスケールを拡張すれば軍事戦略という観点でも有効なんじゃないかと思ったのだ。(*1)

ネットでもよく軍事ヲタ系で無茶苦茶スペックやら技術情報、軍事情報に詳しい論客がいる。しかしいつも不思議なのが、そのスペックをきちんと機能させるためにはどのようなバックアップが必要なのかとか、それを維持するためのコストがどのくらいかかるのかとか、そのスペックによって得られる効果が合目的でなおかつ負担するコストに見合うものなのかということに、恐ろしく無関心なことなのだ。

合目的的なメカニックについては、その目的への好悪感情にはついモザイクをかけて評価してしまう悪癖が自分にもある。だから、他人様のことを悪し様に言うことはできない。しかし、それだけのエネルギーを傾注するのなら個々の技術情報だけでなく運用やら兵站、日本の地勢、経済の有り様を一度真面目に見直してみて欲しいと老婆心ながらつい思ってしまうのだ。国防も所詮は作戦行動の一形態にすぎない。第一波の攻撃を退けたとしても事態を収拾する方法が確立できないのなら、第一波を退けるためだけの軍備は無駄なのだ。

以前、村野瀬様のところでコメントさせていただいたように、自分はきっぱり核攻撃も専守防衛の範囲で論理的には可能だと思っている。9条護持を主張するにも関わらず可能性としてはまったく否定しない。しかし、国際社会から孤立したら生存できない日本の状況を冷静に評価する限り、戦闘を収拾する道筋を見出すことのできない国防にかけるコストは100%無駄だ。だからこそ、米帝に差し出すだけの軍事費は全額を疲弊した地方の再建、農業政策に充てるべきなのだ。そのような政策転換ができないのなら真に強い日本なぞ未来永劫ありえん。そして憂国の士を以って任ずるのなら他国に喧嘩を売るだけの無駄な軍事費なぞ一円も出せませんと自国の意思としてキッパリ言うべきなのだ。

こんなことは本来、へたれ系の自分なんかが説教するべきものではない。軍事に詳しく冷静に状況分析のできる右翼保守論壇の軍拡主義者が冷酷な現状認識から腹くくって提示されるべき結論だと考えている。

(*1)この観点で言えば60年前の15年戦争は負けるべくして負けた戦争以外の何者でもない。安易な兵站思想で南方に送り出された兵士は日本軍司令部によって殺されたものだと断言していい。

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