AmlethMachina's Headoverheels
ゴシック・ノワールを標榜するAmlethMachinaによる音楽を中心にした備忘録。
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最近、こんなん聴いてます
たまには音楽系ブログらしいお話を。
最近、聴いてるCDを新旧譜問わず紹介っす。

THE CURE 「Mixed Up」
いわゆる広義のゴス。70年代末のデビュー作から「ポルノグラフィー」のあたりまでは暗黒浮遊感のある音をバックに猫なで声のロバートスミスのボーカルが異常にかっこよかった。以降、ポップミュージックへの接近を見せるがゴス感覚を消化した上なので一筋縄ではいかないひねくれ感が、いわゆるメインストリーム系の音と一線を画しておった。ちなみにロバヲのルックスは、こいつらが海外ではアリーナ級のバンドとして受容されている事実が納得できないアングラ感を醸し出している。
ちなみにこの音源は90年初頭に「ディスインテグレーション」の前後にリリースされた旧譜からのリミックス集。どの曲も好きなのだが、やはり当時は「NeverEnough」が一番好きだった。

CruciFiction「on the verge of tears」
ロシアの美形5人組によるゴスっぽいアイドルポップ。一昨年にリリースされたものだが、NEW GLAMというキャッチをハイプと見るか本気か悩んだがルックスが決定打で購入。
音楽的には文字通り身もふたもない浪漫チックサウンドで気分は70年代少女漫画のロックバンドである。といっても揶揄しているわけではなく捻りのないストレートな作りが高感度高い。日本のビジュアル系聴いているムキにも全然問題なく入ってくる楽曲ばかりなので洋楽なんて聴かないよ・・・ってムキこそ試して欲しい。個人的にはビジュ系バンドのラファエルを思い出しちまったぞい。

キャンディフリップ「マッドストック」
なんかHugh誌の80年代特集でとりあげられていたけれど、90年代の始まりとして評価すべきアルバムなんじゃないかと思うのだが・・・。
88年以降のレイブミュージックの流れの一つなのだが、当時は「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」のなめたカバーをやってるユニットというイメージでハマれなかった。同じ傾向の音でもクリエイションレーベルからリリースされてたラブ・コーポレーションの「ラブ」の方が圧倒的に好きだったので、最近までずっとほったらかしにしていたもの。
今聴いてみると当時は結構偏見があったなあと反省することしきりである。


オージー「ヴェイパー・トランスミッション」
KORNの主催するエレメントリーから2000年にリリースされたサイバーゴスなアルバム。アン・ライスの小説「ヴァンパイア・レスタト」の優秀なサウンドトラックだと思う。
所謂ヘビーグルーヴを消化した上でエレクトロニカに接近した音は出自は違うが、ゴシック・インダストリアル・メタルなんかと共通する感覚がある。ゴスといってもポストパンク期のバンドとはアレクサンダー・マックイーンとH.A.NAOTOくらい違うっつーか,よくできたプラモデルみたい印象があるが(なんのこっちゃ?)これはこれでグーっす。うるさいところが特にいい。

ピンコピンコ「ザ・モダン・ボーイ」
94年リリース当時「スウェディッシュポップのBLUR」みたいな紹介のされかたしていたけど、BLURほど捻くれた感じもタカビーな感じもないので「好感は持てるけど毒にも薬にもならねえバンド」とほっておった。しかし今聴くとポップミュージックとしての楽曲のよさは少しも損なわれていない。もちっと嫌な連中だったらもっと売れたんじゃないかと思う。

マシュー・スウィート「ブルー・スカイズ・オン・マーズ」
左腕に「うる星やつら」のラムちゃんの刺青を背負ったソングライターのギターポップアルバム。文句のいいようのない出来っす。おまけにジャケットはバイキングの送ってきた火星の写真にロジャー・ディーンのデザインしたロゴが踊るというSF者には避けてとおれぬ代物。それだけでオールOKっす。
ちなみにゴスを標榜しているので意外に思われるかもしれないが、自分は必ずしもプログレを敵視してはいない。イエスでもキンクリでもピンクフロイドもOKである。特にロジャー・ディーンのイラストつきのジョン・アンダーソンのソロ「サンヒーローのオライアス」なんか大ッ好きである。あとチェンバーロックのアール・ゾイもお気に入りだし。
要はジャンルとしての形式に甘んじているバンドはいかなるジャンルにおいてもつまんねーと思うし、はみ出していく要素のあるアーティストであれば3ミニットポップであろうとハードロックであろうともいいと思うということっす。もちろん様式美には様式美のよさがあることは理解しているつもりやけど・・・。

ニールズ・チルドレン「サムシング・パーペチュアル」
昨年のID誌「Horror」特集号で紹介されていたバンドなのだが、キュアーっぽいビジュアルとゴスポップという紹介のされ方をしておって、つい手を出しちまったわけだ。
最近はフランツ・フェルディナントとかNWリバイバルな音を出すバンドも色々ある。しかし、この連中、ポストパンクそのものの音をポコっと出しちまっている。っつーか懐かしいとか言ってる余裕もないくらい、切迫感もってポストパンクなざらついた音を出しとるのだ。過去にリリースされてた「オールウェイズ・イズ・セイム」なんて初期スージー・アンド・バンシーズみたいなヒリヒリするようなギターサウンドを出していていいぞ。(ちと、誉めすぎか?)


以上、とりあえず駆け足にて。
前言撤回はみっともないか?生き延びることは無様か?
1991年、マニック・ストリート・プリーチャーズがシーンに登場した時、前代未聞の爆弾発言「フルアルバムを一作だけ作って終わりにする。世界中でナンバーワンにして解散する」をぶち上げた。
刹那的に生き急ぐロックマナーを期待するロックファンには、あまりにかっちいい発言であった。そして、インタビューでぶちまけられる台詞はイチイチ過激で急進的、そして文学的でキマっていた。正直、言っていることのかっこよさに実際に音を聴くまで妄想はGリミッタを解除してアフターバーナー全開。いきなり高度1万フィート、惑星フェアリイの風が目に沁みるぜ・・・てなもんだった。

が・・・実際に「享楽都市の孤独(MORTERCYCLE EMPTINESS)」を聴いた時、ガビ~ン!だった。それしかいいようがなかった。もちろん、最悪の意味だ。彼らの発言から期待していたのは過激でノイジーで、その辺の知性の欠落した馬鹿者どもを音そのもので瞬殺してくれるような樂曲だったのだ。しかし、実際に耳にとびこんできたのは普通によくできた、グラムやらパンクやらを消化してハードロックのフォーマットにも目配を効かせた音だったのだ。革新的で今まで聴いたことのない音で腐れきった世界をズタズタに切り裂くような衝撃は、当然皆無だった。

その瞬間、自分にとってマニックスはビッグマウスなだけで、どーでもいいバンドの一つに分類された。結局、リリースされたフルアルバム「ジェネレーション・テロリスト」はNMEで10点満点。プレスは絶賛したがチャート上はまるっきりふるわず。おまけに解散もせずずるずるの状態になってしまったことも、それもありだろうなと受け止めていた。日本のファンに対してのみ出された解散撤回宣言も、言っていることはかっこいいけどどうでもよかったし、3rdアルバムを出した頃にバンドのスポークスマンであったリッチー・ジェイムスが精神を病んで失踪したことも痛々しいけどありがちな結果だよなと冷ややかに見ていたのだ。

1998年、バウハウス再結成公演で勝手に盛り上がっていた頃、名古屋に出張。ホテルのケーブルテレビでかかっていたプラシーボの「Pure Morning」とスマパンの「Pug」がゴステイスト全開でいいぞいいぞと思っているところにマニックスの「If you tolerate this your children will be next」がかかったのだ。

正直、吃驚した。派手さはないけれど素直に自分の中に入ってくる樂曲だったのだ。聴き手に対して誠実で音楽的に整合感があり、これなら信頼できる・・・と直感したのだ。その後、「If you tolerate this your children will be next」を収録した5thアルバム「This is my truth tell me yours」を聴いたのだが、高水準のバラードを選りすぐったようなアルバムで傑作としかいいようがなかった。前作「Everything must go」で英国一愛され新作が期待されるバンドになっているという事実は、情報としては知っていたけれどピンとこなかった。しかし、このアルバムを聴いた時に初めて納得できたのだ。
遡って「ジェネレーション・テロリスト」をちゃんと聴きなおしてみたのだが、デビュー以降マニックスは表現のコアはこれっぽちも揺らいでいないのだ。’91年当時、彼らの発言ばかりが先行して、音楽そのものをキチンと聴くことができないほど色眼鏡で聴いていたのだろう。

マニックスは本質的に誠実なバンドなのだと思うのだ。「今まで何も変えることのできなかったロック」を破壊するという幼児じみた初期衝動を誠実に敷衍しようとすれば、世界を拒絶するかのような「解散」という表現しかなかっただろう。そう発言するしかなかっただろう。しかし、そんなガキじみた自爆玉砕は失敗したのだ。その後のマニックスはみっともない過去を正視しながら、自分たちを信頼したファンに落とし前をつけるために生き続けたのだと思う。いや、正視したからこそ生きながらえることに成功したのだろう。ロック・マナーを一度でも信奉した向きは、きっと「自分が30才まで生きることはないだろう」と思ったことがあるに違いない。刹那的な生き方もかっこいいかもしれない。しかし、そんな都合のいい幕引きは全ての人間には用意されちゃいない。ほとんどの人間は自分のシリを自分で拭き続け年をとりながら生きていく他ないのだ。

そういった意味でマニックスは所謂ロックスターからはあまりに遠い地平に位置するかもしれない。だからこそ、一日一日を生きながらえていくしかない自分にとって信頼できるバンドなのである。
もはや自分は前言撤回をしたマニックスをみっともないとは思わないし、生き延びる彼らの姿を無様だと思わない。


P.S.
「Everything must go」はアサヒ スーパードライのCMでガンガン流されていたので聞き覚えがあるだろう。


ちょいとバブラーズについてふれておきたい
いきなりなのだがジャケットのダンエレクトロのロングホーンを抱えた冴えない黒ぶち眼鏡のおっさんを中心にしたもっさりしたメンバ写真に、つい惹かれて手にしてしまったザ・バブラーズの”Like the First Time”。
実は野郎バンドというとCruciFictionのような露骨な美形メンバやH.I.MのValoのような耽美的ビジュアルなルックスが好きなんです。bauhaus聴いて以来そこは譲れなかったんです、最初は・・・。しかし、人生色々、会社も色々・・・いや違う。人間、年喰って人とのつきあいで色々聴いてると、ちょっとゲテものにも手を出したくなるんです、だからPIXIESもデューク・ロビラードも・・・いや、これも違う。ま、いいか。

要は98年にリリースされたフィンランドの著名シンガーソングライター、アルト・タネミンとヤンネ・ハーヴィストのバンドの1stアルバムである。日本生命のCMソング”You Are the One For Me”も収録されているようだが、98年当時のCMなどろくすっぽチェックしとらんかったから、今更そうだと言われても「あ~そ~へ~ふ~ん」としか言えん。

しかし、無茶苦茶優秀なポップアルバムである。60年代~90年代までのポップソングのいいとこどりという評価も納得できる内容である。自分的には優秀なバブルガムポップといえばジェリーフィッシュ、ワンダーミンツ、マイク・ケネリーとほざいてしまう人間なので捻り度、偏執狂の度合いはいまいちかなア・・・とは思う。ただ、アルトの製作意図からすればそういった偏屈なポップ至上主義的な見方は余計なのだろう。なぜなら、きっぱり「ナンセンス抜き、ダウンツーアースなアティテュードでラフにプレイされたアルトの完璧に美しいポップソング」とヤンネが言い切っているからだ。普通にいいポップソングをかけっぱなしにしときたい時には聴きたいアルバムだし、アルバム全体に目配りの利いたバランスがグーである。


そういえば、最近のNHKではよくブーラドリーズの”WakeUp,Boo!”を聴くよなア・・・・。

トイレが溢れている!
近所のレコファンをぶらついてたら、リンボーマニアックスの1st「Stinky Grooves」を見つけたのでつい買い直してしまった。

フィッシュ・ボーン、リビング・カラー、スティーヴィー・サラス等がミックスチャード・ロックとして紹介されていた90年代前半に同様の文脈で紹介されていたバンドである。

昔、売っ払っしまったのは知能指数低めというか、中坊のトイレの落書きみたいな歌詞があまりにアレだったので手許においておくのがこっぱずかしかったのだ。大体、「おれにはポルノが必要なんだ」とか「くっさいグルーヴ」なんてアルバムタイトルは自分が人並みの知性を持っていると思っている人間は普通手にしないだろう。

しかし、聴き直してみて思うのだ。年取って気恥ずかしいとか知性派気取ってみたいとかゆー衒いがなくなったからかもしれん。正直に言う。いい!

音はミックスチャーと呼ばれる連中の中で最もファンクしている。というよりジョージクリントン率いるファンカデリック連中直系の音じゃん、これ。ブーツイー・コリンズやらメイシオ・パーカーが参加しているからそう思うのかもしれんが・・・UFOはいないし、おむつはしてないがお馬鹿なノリ全開なこの世界ってどう聴いても、ヘビメタギターまでありありのファンクサウンドなのだ。ビル・ラズウェル・プロデュースのこの音はサイバーファンクなんて感じでかっこいい。でも、「トイレがつまって洪水だ!」なんて・・・。(しつこい!)

なんか、いつの間にかリンボーマニアックス自体はフェードアウトしちまった感がある。リアルタイムで聴いていた当時、恥ずかしがらずにもっとテンション上げて聴いておけばよかったと思う今日このごろである。

それにしても、このかっこよさ。タックヘッド並に評価されて然るべきと思うのだがなあ・・・。


SUEDEがどエラいバンドだった頃
実はSUEDEの1stシングルをリアルタイムで聴いた時にはピンとこなかった。

当時はナインインチネイルズのような殺伐としたインダストリアルメタルやデイジーチェインソーのような狂気じみた轟音の方にリアリティを感じていたからである。初期SUEDEは70年代グラムのアウトテイク集みたいな音だったのだ。D.ボウイの"スターマン"のデモテイクを基にリメイクした曲だと言われても納得してしまうような音なのだ。ピンとこなくても仕方ないだろう。

ところがある時、たまたま聴き直してみた。

ヌメっとした爬虫類系のブレット・アンダーソンのボーカルと肉感的なバーナード・バトラーのギターは繰り返し聴いているうちに麻薬的な魅力を発揮してくるのだった。ホモセクシャルを露悪趣味的に表現した歌詞といい、下品きわまりないボーカル、スミスを経由したような仄暗いメロディライン。オスカー・ワイルドの係累と言っても過言ではない審美主義的なセンス。今なら1stアルバムの”SUEDE”は傑作だと断言する。

そして2ndアルバムの"DogManStar"はその1stをさらに越えるどエライ傑作である、きっぱり。美しい方向にブーストしたバラードの名曲”StayTogether”を経由した後に発表されたこのアルバムは、M1の読経のようなサウンドからオーケストラをバックに堂々とバラードを歌い上げるラストまで一貫した美意識で構築されている。1st以上に毒々しくも美しい世界は前期SUEDEの到達点であった。

2ndレコーディング中にB.バトラーが脱退したという話を聞いた時、ビッグマウスなB.アンダーソンの我儘に職人気質のB.バトラーが付き合いきれなくなったからだ。音楽的、美学的なイニシアティブはすべてB.バトラーが握っていたと思っていた。少なくともロッキングオンでのB.バトラーの単独インタビューを読む限り、それ以外の解釈はありえなかったのだ。

しかし3rd"CommingUp"を聴いた時、その考えが揺らいだ。きっちり、2ndで魅力的だった毒々しくもポップなメロディラインが健在で、おまけにキーボードを導入しどちらかといえばチープなギターサウンドをバックにしてさえ・・・である。

しかもB.バトラーのソロ"people move on"を聴いたら、出来については文句はないのだが、華がない。なんつーか思いっきり毒消ししちまったような印象の音なのだ。これ聴いちまうと、確かに初期SUEDEは音楽的イニシアティブはB.バトラーが握っていたのだろうけれど、B.アンダーソンの毒が入って丁度よかったんじゃないやろかと思ってしまったのだ。きっと、こつこつ音を構築している印象でスティーブ・ヴァイみたく脳内物質が耳から垂れてるようなタイプでなかった点も印象を地味にしていたのかもしれない。初期SUEDEに何を期待していたかによって思いっきり評価の分かれるアルバムだと思った。

3rd以降のSUEDEには興味が持てずにいた。そうこうしているうち21世紀を迎える前にSUEDEはいつの間にか解散していたのだ。

21世紀になってからB.アンダーソン、B.バトラーが仲直りしたのかTearsというバンドでアルバムをリリースした。初期SUEDEの復活と当然期待するであろう。一部では初期のSUEDEが10年近くの歳月を経て進化した方向という評価もある。しかし、B.アンダーソンの毒々しいポップ感は後退しており、初期SUEDEにキチンと決着をつけようとしたB.アンダーソンの漢気という感触の方が強く、実は初期SUEDEとはあまりにも遠い地平で演じられたアルバムという気がしてならなかった。もちろん音楽的には二人のSUEDE以降のキャリアをいい形で結実させたアルバムだというのが模範的な評価だろう。

しかし、自分は単にいいアルバムを聴きたかったのではなかったのだ。

おまけに、このアルバムで本当にエゴが強烈だったのがB.アンダーソンだったのかB.バトラーだったのか、正直わからなくなっていた。あまりにB.アンダーソンの態度が生真面目過ぎたのだ。そんなことも、今となってはどうでもいいことなのだ。

結論から言えば初期SUEDEはあの時期のB.アンダーソン、B.バトラーによる奇蹟的なコラボレーションだったのだと思う。少なくとも自分にとって、どえらい傑作だったと言えるのはSUEDEの1st~2ndの間にリリースされた曲だったのだから。


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